涙って有限だと信じこんでいたけど、実際どうなのか、この身を持って検証しようとおもう。どうせなら。状況的には連日出しっぱなしなので、いまのところわたしのなかで涙は無限という説が上昇中。いつか止まるのかなこれって。そんな、ほんとうに?
朝。瞼をあけて、すぐにでもおろしたくなって、現実を見渡して覚醒を自覚し泣き崩れた。たぶんここからがはじまり。かなしみの1日目だった。いやどうだろう、果たしてかなしみなのだろうかとすらおもうけど、今考えたところでこれ以上なにも明確になるようなことはない。泣きながら家を出る準備をしたところまではよかった。前日に作り置いたお弁当を手に取った瞬間なにもかも折れてしまいそうな心地になって、ぜんぶを投げ出しそうになり、どうにかこうにか踏ん張ってとどまった。ドアを無理やりこじ開けて外出。わたしは絶対にそうしないといけなかったから、ちゃんとできてよかった。青空にとてもむかついたのでiPhoneで写真を撮った。強い日差しを浴びても頬が乾くような気配はなかったし、いつもならしたくてもできない早起きをしてしまったせいで時間を持て余していたから徒歩で出勤することにした。なにより電車に乗れる状態ではなかった。朝だというのにともだちが電話を繋いで孤独を防いでくれていたおかげで到着ギリギリまで号泣しながらとはいえまあきちんと歩けて無事辿り着けたけど、こんなときにもおはようございますが笑顔で言えてしまうじぶんに大層めちゃくちゃな感情になり、そこからの記憶があまりなく、気づいたら退勤していた。たぶん午前も午後もにんげんと対峙したときに限ってはほとんど笑えていたとおもう。巻く気力があるわけもなく適当に纏めてた髪を解いたら、手に持ってるヘアクリップはハマスタに観戦しにいくのにいいかもって買ったヘアクリップでパーソナルカラー全無視の青だし、てか服もうっかりトミーヒルフィガー着てきちゃってるし。ひとりになってすぐ燃えるように熱くなっていく目頭に危険を察知してまた歩いて帰ることにした。明るい月が視界に入ってまたiPhoneで写真を撮る。月や星を想うときはしばしばその姿がふわりとわたしの夜空に浮かんだし、優斗くんを想って見上げる空にまぶしい天体が佇んでいればそれだけで染み込むようなうれしさと幸福が満ちた。好きな作家が月や星について言葉をもちいれば、まるでわたしと優斗くんだと抱きしめた。とうぜん優斗くんは星や月じゃないから、ずっとそこにいてくれるなんてありえなくて、顔を上げれば出会える存在なんかでは、決してなくて、わたしがわたしの意思で大好きなその顔を見に行く必要があった。それはもう、ほんとうに、ほんとうに、語りきれないほど、たのしかった。優斗くんを見にいって優斗くんがいるって、もう飛び上がるほどにうれしくてとくべつな事象だった。手を引かれている気になることで、もっともっと大好きになって、夢中ってゆうぴーのためにある言葉だと信じて疑わず、連れられた場所でまばゆさに目を眇めて心を灼かれて乱されていながら、心のどこかでいつも終わりを考えていた。それはべつに常に杞憂をしているわけではなく、あくまで、優斗くんを好きなきもちに付随して存在するような、確かに付与されたピリオドは少なくともわたしにとっては自然だった。握られないで。縛られないで。おねがい。君らしくいて。と、祈ってしまう以上、いつか訪れるであろうその日を意識しないほうが無理だったといえる。その日、が、ついに定められてしまった、やってきてしまったんだと明るい月に近づいて泣いた。強がりでもなんでもなく、わたしも悔いはない。断言できます。涙が止まらない。優斗くんと自分以外の誰かに預けるわけにはいかないと必死に守り続けたピリオドは大好きな優斗くんによって打たれた。だいすきだ。優斗くんが、ゆうぴーが、わたしのアイドル髙橋優斗くんがほんとうにすき。愛してる。幸せなまま死ねるのだからこんなにありがたくて幸福なことはないよ。わたしは受け取れていたかな。受け取れていたらいいな。ほんのひとかけらでも、勝手に見て勝手に感じて貰うものが大半だったけど、にた!とねこひげをはやしたゆうぴーがよければどうぞと手渡すあたたかさを、このてのひらでしっかりと受け取れてたものがあったらいいなと、そのうちのひとつがこの確定した喪失を前にしてもどうにか生活をいとなめている自分であったら、それだけでもう、と半ば祈る心地でどうにか帰宅後は夕飯を摂った。はしもとさんの伝記を読んでまた新しい角度で理解が襲い掛かり泣く。わたしは優斗担のじぶんと愛着を飼い慣らせなかったじぶんで、ふたつの終わらせを執り行わないといけないんだった。そうでした。ゆうぴーにピリオドもってかれたせいで、いやていうか本来いっこでよかったのにわたしが絆されたせいで、じぶんで用意しなきゃいけなくなり骨が折れる。ともだちとはしゆとや優斗くんやハイハイジェッツやぜんぜん関係ないことを話しながら壊れたみたいに泣き同じくらい壊れたみたいに笑って何度も希死念慮を通じ合わせていたら時間が溶けて深夜になっていて、ああこうやって瞬きの間に10月ってくるんだなとおもわされ、電話を切って絶望と共寝。振り返ると、ゆうぴーをだいすきないちにちだった。
2日目。かなしみの、を省略しています。かなしみ(仮)か。これってかなしみなのかな。だれか教えてほし……くはないか。なかった。基本的にはゆうぴーとじぶんから生まれたものだけでやりくりしていきたいってきもちだけで大爆走ゆうぴーを勝手に追いかけてきたわけだからなるべく背くわけにはいかないね。ともだちにいがりくんの伝記を読んでもらい(わたしがとちゅうで脱走しないために音読してもらった)、数時間後に思い出してふたりで爆笑をするほどに夥しい、もう、夥しい以外ちょっと表せないくらい夥しく、涙を流したのがこの日だったけど、朝起きて泣きながら歩くきのうをなぞって社会に合流したことをまず先に記録。うっすら心配されながらもうっすら誤魔化して、どうにかこうにかやってたけど、ほんのすこしでも思考に隙間ができると感情やら思い出、特に思い出の方がかな、膨れ上がって、制御しきれずちょっとだけ就業中に泣くというミス。なんでこんなこといまおもいだすんだろって風景ばかり浮かんでくるから、それらが端から端までたいせつすぎるから、まあ、耐えきれなくてだめだったな。コンサート終わりに食べたごはんの味、必死に申し込みについてかんがえてた日に座ってた教室の席の位置、ともだちに出会ったときのこと。たからものなテキストが載っていた雑誌を買った本屋や、公演終わりにたのしくて帰りたくなくてただ歩き回っていた東京の街の輝き。ラジオを聴いて夜桜を撮った場所。関内駅にはじめて降りたときに得たコンサートの最寄り会場とはまた違うときめきと感動。マイクを持つゆびのかたち。声の強弱ゆるんだ襟元、比較的ぼうっとしているきみの視線の揺蕩い。星空を仰ぎ見ては会いたくなって歩いた帰り道を。こっちをみて笑ってくれた一秒の数々を。こちらだけがみつめていた膨大で長かった一瞬のできごとを。離したくないって必死になって脳が刻み直しているんだろうな。上滑りの会話でもできているだけいいよねって天気や気温などのはなしでタスク的に会話をこなそうとしたけど、そのまま季節のはなしになり、まだ暑いのに9月ももう終わりの方だもんね、きっと気がついたら10月になってるよとだれが言ったかも思い出せない発言により特大事故が起こってわたしだけがひっそりと死んだ。およそ8年間弱、優斗くん本人に傷つけられたできごとって結局たったの一度だってなかったなとこんなときにひしひし実感するのはちょっとなあ。だいすき、か。また徒歩で帰ってどうにかやることやって生活を保持して、ふたりで一生分はくだらないほど泣いて喚いて、おなじだけ笑って喉がなくなるくらい喋っていたら、だいたい6時間で体力バッテリーが警告出るくらいは減ってくるっぽいからその隙を狙って睡眠を図る不健康ルーティンがうまれつつある。ゆうぴーがすきでだいすきでだいすきなままだから涙がでる。優斗くんがこの世界から去ることでうまれてしまったかなしみを持て余すわたしのとなりにいてくれるともだちとの縁は、ともだちのすきなアイドルとわたしのすきなアイドルがたまたま偶然おなじグループに所属してくれたから結ばれたものなので、もう、話しているだけで自動的に涙がでる。ゆうぴーに泣かされるのって数年前に1回、これで2回目だけど、こんなに止まらないこともあるなんて聞いてないです。気づけばわたしの身の回りはゆうぴーがくれた縁に溢れていて、やっぱり、もらいすぎているね。ごめんねってあんまり言いたくないし、そもそもそんなの適切ではないし、だから何度でもだいすきとありがとうって言わせてほしい。ありがとう。ありがとうじゃ伝えきれないぶんはこっちで独自にだいすきに変換しちゃうからね。だいすきだよ。はしもとさんの伝記を読んだときは、はしゆとってこんなかんじなんですね、なるほどね、ってまだ新鮮な気づきすらあったのに、いがりくんの伝記にいるいがりそうやゆとはわたしが見てきたいがりそうやゆとでしかなくて、きっとそれって友と呼べるか呼べないかの関係性のちがいに直結しているものなんだろうなって。みずきさんやさくちゃんも含め、ゆうぴーと彼らがそれぞれふたり同士で築き上げた不可侵で唯一でもはや名称すらも必要ない、ふたりだけの居心地があった。もちろんごにん間でもおなじように、5人だけの居心地があった。揃って花火をしたとたのしそうに教えてくれたえむしーを忘れられない。忘れたくないよ。野外のこたつで涙をながすゆうぴーを、寒いからといって泣くゆうぴーを、ただ泣いている以上にも以下にもしなかったよにんの尊重を忘れたくないから。あしたこそ必ずご報告動画を見ようと誓った。わたしにとって月がマクガフィンでしかないまま終われていたらここまで泣かずに済んだかもしれない。でもそんなの残酷なだけだしさあ。どちらかというとわたしはゆうぴーを月の兎だとおもって見ていたところもあるしさ。なんて。振り返ると、ゆうぴーがだいすきないちにちだった。
0日目。
おとなになんてなりたくなかったわたしが逃れられずおとなになり、おとなになんてなってほしくなかったゆうぴーもとっくにおとなの少年だった近年、もしかしておとなになるっていいことなのかもと価値観や固定観念、植え付けられたもしくは勝手に育てた嫌悪すらじわじわとひっくり返されていく感覚があった。優斗くんと歳を重ねて、それぞれの人生を過ごしているなかでときどきお互いのいちにちが交わるコンサートという場所でその侵食はすこしずつ、たまの革新とともに、じっくりと進んだ。コンサートに行って帰ってきてお風呂に入ったらそのあとに洗濯を回して作り置きをつくる。最終の新幹線で帰宅して問題なく日常をこなして次の日もふつうに働く。ただの行動はどこかのタイミングで気づきを獲得していって、最終的に、大仰に捉えていたけれどおとなになるって生活をつつがなく営むこと、みたいなレベルでもカウントしていいっぽいなと到達した。わたしにとってはとんでもない革命で、世界がひっくり返るできごとだった。ひっくり返したのがだれなのか、わたしは痛いほどに知っていた。なんかたくさんラインが鳴いてるから気になって家事する手をとめて、見て。通知でなんとなく察してしまって、しゃがみこむ。泣けなかった。泣けないまま動けなくなって、ふらふらと情報を求めた。とりあえずなにが起きてるかは把握したけれど動画がどうしても再生できなくて、混乱状態でともだちと通話開始。いつもみたいにしてないと壊れそうなのもあったけどたぶん生来の先送り癖により本能で考えることを遠ざけようとして純粋な感情の核に辿り着けなくてとても困った。まず流れ出してもらわないと見えてこないから、じぶんでじぶんを刺しまくってみたりしたけどこの時点ではぜんぜん無理だった。クラフロ円盤みて騒いだ。いなくなるのって嘘かもとかいかないでとか言ってみたりとかして、核がどこにあったか探そうとしたけど、失敗。オタクからもそうじゃないひとからもたくさん送られてくる心配のラインみて誕生日くらいくるなって呑気におもって、それくらいわたしというひとりのにんげんにゆうぴーって埋め込まれてたんだなって、やっぱり呑気にうれしくなったりして。一度ひとりになったけどまだ泣けなくてでも更新された伝記も読めなくて、またべつのともだちにたのんで笑わせてもらってる途中で、ふと中断して作りかけのままになってるお弁当が目に入った。洗濯機ももうすぐ止まりそうだし、洗い物もあった。生活をつつがなく、営むこと。ゆうぴーをみてわたしが獲得した、わたしのなかに埋め込まれたもの。他にもたくさんの、愛おしい変化とそれをもたらしたひと。ずっと走り続けて、夢を渇望して、自分の人生のために輝いてそれをわたしたちにもわけてくれるひと。楽しんでみてくださいと、そう言ってくれた。わたしのアイドル。わたしが見つけたわたしのアイドル。髙橋優斗くんという閃光のようにきらめく優しく優れた萌え袖の男の子。なにひとつ変わらない、だいすきな。いなくなっちゃうんだね。そっか。そうなんだね。わたし、きみのことが、だいすきだよ。だった、じゃない。優斗くんがだいすき。わたしの、髙橋優斗くんのファン人生も最高ですよ。ゆうぴー。
ほとんど意地で「生活」を遂行してから、深呼吸をして、伝記をなぞった。それ以降、涙がまいにち止まらない。たとえ涙が無限であったとしてもぜんぜんいいなと現在地点ではおもっている。あしたはおもってないかもしれないから、記録としてのこしたかった。あしたのことなんてなにもわからないけど、今、この瞬間もわたしは優斗くんがだいすきだ。痛みすら愛しく離したくないほど。
-2日目。えむしーでおたくに花粉をはらってきたかどうなんだと問うてたとき、花粉症ゆうぴーが「きみだけのぼくらじゃない!みんなのぼくらだ!」みたいに言っていたのをなんとなく思い出して、それってとても正しいことだ。と情景のなかのゆうぴーをさすさす撫でてた。「みんな」にいれてくれてありがとうね。「ぼくら」、「ぼく」をみんなに、わたしに、たくさん見せてくれてありがとう。だいすきだよ。
優斗くんだけの優斗くんで、いてね。