優しい閃光

背番号2番、立ち位置は0番。わたしのいちばん

優しい閃光

世界が終わる日がきてしまった。この日をもってこれまでのあなたの世界はおしまいです、と告げられてから、笑えるくらい毎日が愁嘆場で、同時に、なんら変わらない日常でもあった。わたしはわたしの世界があと10日ほどで終わるとわかって涙がたくさん出てもなんだかんだでふつうに生きてしまうようで、たとえばさみしさにくらくらして正気をうしないそうになっても、突然ふっときもちが落ち着いて数分後にはもう笑って話せていたり、できるかぎり普段通りの生活をおこなって、いつもみたいにふんわり意味のないことばかりをしたり、していた。今もふんわり意味のない文を書いている。あしたにはもうアイドル髙橋優斗くんの存在する世界はないというのに呑気なものだ。きょうの21時がきたら星は崩壊をはじめる。24時には世界が消える。わたしは呑気にしている。呑気に、優斗くんをすきだと、そうおもっている。

 

連日、鏡を見るとつかれた顔をしているにんげんがいるので、へえ、とおもう。あなたゆうぴーがすきなんですね、と、おもう。白目がうすくにごっている。今まで生きてきてこんなに涙を流した経験がなかったから、たくさん泣くと白目がくすんでくるとか、泣くとけっこう疲れるんだ、とか、泣きながら爆笑するってできるんだとかを学んだ。ここ数日のわたしはおかしい。叫ぶみたいに泣いたり愛をぼそぼそ語るみたいに泣いたり、思い出をつよく抱きしめるみたいに泣いたり、逆に思い出をこんなのはいらないと癇癪を起こして投げ捨てるみたいに泣いたりしている。おかしい。けれど、実際のところ本当におかしいのはここ数日のわたしではなくて、優斗くんをすきになってからきょうまでのわたしなのかもしれない。

いてもたってもいられなくなるということが人間にはあるらしかった。もともとが惰性か衝動性かのどちらかで選択ごとを乗り切るふしはあるけれど、とりわけ優斗くんの顔をみるとおかしくならずにはいられなかった。誇張でもなんでもなく優斗くんの見た目におけるぜんぶがすきだけど、とくに輪郭がすきだ。かおだけでなくスタイルもふくめて、優斗くんの外側の線が。やわらかくてまろやかな線が過不足なくかわいく引かれていて、華やかで愛嬌に満ちたパーツのひとつひとつや体温や底知れなさをむぎゅっとおさめているのが、ステージのどこにいてもぱっと目を惹いたし、ステージの外でご機嫌にゆるんでいるときの自然に馴染んだかわいさを引き立てた。いくらでも眺めていたいそれがたのしそうに動くのが、あるいは、こちらを見渡して語りかけてくるのが、奇跡のようで、うれしくて、おかしくならずにはいられなかった。優斗くんはいつのまにかわたしのど真ん中に在るようになった。夢中ってことばはきっと優斗くんのためにあると信じたし、どんなときもどこに立っていようと、常に優斗くんのあしもとから世界がはじまって、だからそこが世界の中心なんだと疑わなかった。現場の日も、現場ではないときどきも、気温や天気や、空だって、ぜんぶが優斗くんとわたしのためにあると強気になれた。ほんとうに、おかしい。可笑しくて幸せな人生が、こんなに長く続くなんて思っていなかった。優斗くんに出会うまでのじぶんは、なにかに一定以上の熱量を保てる期間ってまあせいぜい1年くらい長くて2年ってかんじで、興味の向くままにふらふら見て回ってそのときときめいたものを手にとってみて優先順位の札をあげたりさげたりして好きにたのしんで、またふらふらして、その道中で優斗くんに出会った。かおが世界一かわいい!かおすきすぎる!かおがかわいいからもっと見たい!どうしたら見られるのかな?どこいったらいいのかな?どうしよう、ほんとうにかわいい。かおがかわいい男の子は、どうやらかお以外もかわいくて、お調子者で、笑い方が変で、えがおがまろくて、努力家で、前に進むための豪胆さと慎重さをくるくる入れ替えてつかっていた。そして、誰になんと言われようと、好き、良いと自分で価値を感じたものに対して真っ直ぐで、この男の子は自分を信じているんだなとおもった。自分を好きでいることと自分を信じることは似ているけどすこし違う。わたしも、じぶんを信じてみたくなった。それから相変わらずふらふらと気分でいくつかのものを見たり見なかったりすきになったりしたけど、気づけば優斗くんだけになっていた。まぎれもなく、優斗くんはわたしの理想そのものだった。優斗くんがわたしにとってのアイドルそのものだった。アイドルの定義はと問われれば迷うことなく髙橋優斗くんと答える。知らぬ間にわたしのど真ん中はゆうぴーに占拠されていて、好きのかたちはゆうぴーに倣って平されていった。知れば知るほどにわたしのいちばんは優斗くんしかありえなくて、たとえ諸手を挙げて肯定できないことがあっても、すべてを顔で許せることまでふくめて幸福だった。というか当たり前だけどわたしとゆうぴーって別の人間だから基本的にほとんどのことが分かり合えないし、知ることもできない。わたしはわたしの知覚を信用するしかない。だからわたしなりにゆうぴーを見てきた。これほど一生懸命になれたことはなかった。今までときめいてきたものに対して、もちろん当時のじぶんなりに真剣にすきだったとはおもうけれど、わたしの好きはすっかりゆうぴーのかたちになってしまった。じゃあきっとこれまでのなにもかもが、ゆうぴーに出会うためにあったということだろう。それに気づいたとき、優斗くん以降も、優斗くん以上も、ほしくない、そんなのいらない。と、この愛おしすぎる世界との心中を誓った。

 

その日がきょうだ。考えれば考えるだけ、よく9年もいてくれたなと感謝で胸が熱くなるし、実感を抱き直すほど、さみしくて離れがたくてどうしようもなくなる。けれど笑っていたい。泣きながらでも笑えるって教えてもらったので、どうなろうと最後には笑顔で、じゃ!と言いたい。みんな、ありがとー!!!!!って愛をぶちまけてたかお、そおやんのレスポンス前にHiHiコールをしかけてた姿、声きかせてよ、ステージから消えていくときのてのひら。首尾一貫で誠実だったゆうぴーにわたしも真っ向でいたい。わたしが会いにいくと、優斗くんはいつでも優斗くんをして待ってくれていた。そこにこみいった要素はなく、ただシンプルに、現場にいったらゆうぴーが出てくる、ゆうぴーを捉えてゆうぴーのかわいさを浴びてうれしくなって幸せで喉がひきつってペンライトを強く握りながらここに来られてよかったとおもう。おもうのに、わたしはただぼおっと優斗くんをみるだけしかできないので、せめて優斗くんは優斗くんのためだけにそこで生きていてほしいと勝手に願う。自分のもふくめ何千の勝手な願いや祈りや執着が5色の光のつぶとなって存在している空間が好きだった。

どうしてか、意志の宿ったひとみに射抜かれる心地がするときよりも、困ったみたいに眉を下げたえがおの方がわたしに有無を言わさない。よにんの間にはさまれてむにゃむにゃほろほろ相好をくずすのをみてるとたまらないきもちになった。優斗くんがたのしいならそれがいいなとおもっていた。ゆうぴーがどこに立っていてもすきだ。胸を張っていえる。そんなにつよくなくたって、そんなにあやうくなかったって、絶対にわたしはゆうぴーがすきだ。ゆうぴーがかわいいかぎりゆうぴーがすき。でも実際にゆうぴーは0番を踏んでおれたちがー!と号令をかけて、えむしーまでぶんまわしていた。すごい。焼かれるしかできない。こういうひとだからすき!というよりは、すきになったかおのひとが、なんか、すごかった。優しかった。めちゃくちゃおもしろかったって、それだけだ。それだけの幸運たちがゆうぴーの引力によってぎゅっと引き寄せられて、くっついて、とんでもないおおきさになり、いまわたしがいる世界ができている。

 

託されたもの預けられたものをも背負ってしまう甲斐性に、そりゃあスーパーヒーローだもんねと負けてしまいがちだけど、だれより自由で身軽でいてほしいのにとも切望してしまう。大矛盾。誰にも縛れない、誰にも奪えないって歌詞がゆうぴーに与えられたのを目撃したとき、代々木第一体育館でとびはねたい気持ちになった。ゆうぴーはゆうぴーが走りたい方に、信じたい光のもとに全速力で駆けているときがいちばんまぶしくてかわいい。だからぜんぜん、だいじょうぶ。いまこの瞬間もわたしにとってゆうぴーはどんなものよりまぶしくて、だれよりもかわいい。世界一幸せでいてほしい。おれは世界一幸せです!と、思えていてほしい。優斗くんがしゃべってくれる、たわいもなさ、を愛してた。優斗くんのまわりにやわらかいものがあることに安心して、こころがぬくまって、うれしくて、もっともっとやわらかさで満ちてほしいと、身の回りのことをおしえてくれるたびに、胸が軋むような小さな祈りを抱いた。無邪気さに傷つけられたことはなく、清浄な雰囲気にひと匙おとされたさみしさには甘やかな痛みを感じた。すこしの共感も、大部分を占めていた理解できなさも魅力で、優斗くんがする優斗くんの話がだいすきだった。見せてくれるなにもかもがかわいくて、見えないぜんぶがいとしかったので、わたしは優斗くんというアイドルをかなり信用していたんだとおもう。

 

上京してわりとすぐはじめてゆうぴーに会いに現場にいった。東京って優斗くんに会えるからすごい街だ!わたしが理想とする東京に、ハイハイジェッツはよく馴染んで、それがすごくすきだ。ひとが街で泣いてても、笑っていても、怒っていても、ただそれだけのことでしかないとする態度をわたしはなによりの尊重ととらえる。現場終わりにどれだけ浮かれて歩いても、感傷的に空を見上げても、すきなものをすきだと叫んでも東京はそれを許してくれている気がした。むしろ誘うようなぎらつきまであった。心地良いぞんざいさに身をゆだねてすきなだけ感情をふるわせた。ハイハイジェッツは東京がよく似合う。情けないことにあの日から泣きまくっているので家で泣いたり道端で泣いたり、泣きかけて止めたくてでも止められなくて駅のホームで一瞬うずくまったりしたけれど、だれもわたしのかなしみをとめたりはしなかった。ゆうぴーははいらじの最後、ばーいびー!と笑っていた。

今から書くことは嘘なのでもしこの怪文書を読んでいるひとがいてもなにも信じないでほしいんだけど、実は前にも一度だけ優斗くんに泣かされたことがある。 5人での初単独だった年のクリエ千秋楽、はいじぇたちがアンコでお立ち台にきたとき、ゆうぴーがだいすきだってきもちがあふれてどうしたらいいのかわからなくなって、そのままなみだとしてでてきた。アンコ前にお互い浮ついたテンションだけを理由に軽く会話した同担のおねーさんもとなりの座席で泣いてた。数分前に公演よかったですね、おわっちゃいますね、優斗くんかわいかったしかっこよかったですねくらいの会話を交わした初対面のひとと一緒に、わーっと泣きながらもふたりでがんばって前を向いてたら、優斗くんがふとこっちをみて慰めか共感かわからないようなかわいくてやさしいふしぎなかおで一回だけ頷いて、それだけしたら以降もうこちらをみることはなく、あっというまに幕は閉じた。一緒に泣いてくれたおねーさんのSNSのアカウントはきけなかった。まあこれは、嘘なんですけど。誰よりもわたしがこんなできごとは嘘だといいなと、美化され改ざんされたか、そもそもがひどい勘違いであってほしいとおもいながら、なにかがあったりなかったりするたびに、何度もあの頷きを思い出した。ゆうぴーのことなにもわからなくて、くやしくて、ぜんぶが嘘ならよくって、ずっとこの苦しみと一体化した幸せだけがあればいいとおもった。

 

ある漫画に『出会いって双方の運命の成果ですもんね』『何かを探しあてるのも見つけ出されるのも両方からひきあう力の幸せな出会いだわ』って台詞があった。わたしとゆうぴーもそうならいいな。いやきっと、ぜったい、そうだ。みなとみらいで待ってます!待ってるなら、待っててくれるならいかなくちゃ。そしたら、美容室と眉毛サロンに行きたての、ほろほろーっとわらう、運命を信じているゆうぴーが、とびきりの運命に心からありがとうと歌った。ふるえるくらいの感動だった。偶然は運命に代わり、目に飛び込んでくるすべてが幸運で、それならもう、わたしの朝も昼も夜も星も月も太陽も空も海も花もなにもかもゆうぴーじゃないかとおもった。はじめての「救われる」にひとしいできごとだった。わたしが探しあてて、ゆうぴーが見つけ出される、そのとうとさに打ち震えた体験もあって、でぃあうーまんはほんとうにとくべつな曲だ。びんごのでぃあうーまんでの優斗くんもとびきりかわいくて、心をむきだしにするみたいにおどって、うたって、笑っていた。あれをみてしまって、まだなにかほしいだなんて言えるわけないんだよ。簡単に抱えきれなくてひと苦労しちゃうくらいには、いろいろもらってきた。

優斗くんと一緒におとなになれてほんとうによかった。とてもうれしい。まるで体温を分けて貰うかのようなあたたかい人間的な変化をいくつも経験した。いつも勝手に愛すのに必死で、優斗くんが提供してくれる優斗くんを好き放題にこねくりまわしてひとりでたのしんでる気になってしまっていて、愚かである。やはり愚か者ですわたしは。飾り気なくて、まっすぐで、過不足なく与えられた愛を、どれだけきちんと受け取れていたかな。でも一方的に募らせた膨大な感情や思考も、いつかゆうぴーに破壊されるためにあったものだし、なんか、なんだったんだろう。あーもう、ほんと、なにもかもがたのしかったな。優斗くんだいすき。なにがいいたいんだろうわたしは。最後だっていうのに、なんにも意味のあることばがでてこない。優斗くんについて満足にことばを紡げたことなんて一度もない。たのしかった!だいすき!妖艶が理解できないゆうぴー、生成色がわからないゆうぴー、恋と愛のちがいもまだわかってなかったゆうぴー。俺と青春しようぜ、手とか机とか膝とか太鼓とかどこどこ叩いて爆笑、お砂糖のうたごえ、わたあめのかお、ピースサイン、まるまるこてん、わんわんわおーん!マシュマロつめこんで頬袋もちゃもちゃどらやきかぶりついてもちゃもちゃ、さみしがりやのうさぎさん、でもねこみたいで、ふくちゃんのはなしするのがかわいい、悪いものは倒してー!みたいな!諦観を得意とするひとみ、ボールとマイクと明日と未来とわたしの世界を握ってるてのひら、人好きなえがお、髙橋優斗⚾︎、ハマスタからみる花火、顔がうかぶラジオ声がきこえるブログ、水炊き豊?胸キュンレジェンドといつも長すぎ胸キュン、君は僕のリアルさ、そおやーんのもらい泣き、はじめての個人うちわ、指パッチン、愉快なヤスアキコール、ラミちゃんがうれしかったらおれもうれしいもん、クリスマスシーズンに乗ったゆりかもめ疲労でくにゃくにゃになりながらたのしさのままわらう隙だらけなかわいさ、中心にはいつも優斗がいる、萌え袖、きんぐのバックでふよふよおどる白玉みたいな子、ずんだ衣装での百花繚乱、なにこのこかわいい、このかわいい子は髙橋優斗くんっていうんだ、かわいい、かわいい!いーえっくすしあたーってどうやっていけばいいの?はじめてファンサをもらった日のこと、さいごにファンサをもらった日のこと、こっちを見て笑ってくれたたった一瞬のひとつずつは永遠なのに、永遠にも思えるわたしだけが見ていた時間こそ瞬きの間に過ぎていって、なにがほんとうだったんだろう、約8年ぜんぶ夢みたいだった、夢だった?いやそんなことない。 ぜんぶほんものでぜんぶまぼろしみたいにおもえるけど、ゆうぴーがかわいいのだけは揺るぎない真実で、わたしがいま存在していることもまた確かな証明だ。

 

優斗くんはどこへだっていけるよ。どこへだって、連れていってくれたもんね。優斗くんが散々手をひいて振り回してくれたので数時間後のわたしは優斗くんにむかってめいっぱいこの手を振れるような気がする。いままで優斗くんが指差し笑いかけてきたひとつひとつの「君」たちが君の幸福を願っていて、わたしもそのひとり。わたしにとって君は優斗くんだったし、優斗くんのいう君はわたしだった。 わたしとゆうぴーのおしまいを執りおこなっていいのはわたしかゆうぴーしかいないし、途中参加ではなくきちんとはじめから所有していたピリオドでもあるから、それを愛しいゆうぴーの手でうたれるというのは本懐といっていい。だいすきな優斗くんがだいすきまま去っていくのが壊れそうなくらいにさみしくて、それからうれしくてたまらない。すき、が欠けないまま、なにも奪われず損なわれずに死ねるのは、変わりゆく情況のなかでも変わらずいつづけてくれた優斗くんのおかげです。ありがとう。

よく言っていたように、将来はあたたかいところに住むのかな。わたしはね、将来ぜったい横浜に住みたい。まだいつそのときがくるかはわからないけど、ぜったいそうしようって、決めてるんだよ。そうすれば、わたしの未来にもきちんとゆうぴーがいる。出会ってくれたおかげで、いまゆうぴーをすきだと言えることで、この先も照らされて生きていける。永遠を願う刹那を味わい尽くしたあとは、刹那をつなげて、まぼろしでもまやかしでもない、ほんものの永遠に変えたい。それはわたしのすることだ。

 

後悔なんてひとつもない!わたしの髙橋優斗くんオタク人生は最高だった!来世でもぜったい優斗くんのオタクになりたい。またふらふらと彷徨ってる途中で人生を揺るがすときめきに出会えるのがたのしみでならないから、それまでどうか元気でね。すこやかでいてね。宇宙でいちばん幸せになってね。笑っていて。

髙橋優斗くんがだいすきです。

ありがとう。

 

もうすこしで星が砕けて、破片がそこかしこに散らばる。閃光とともにいずれ世界はなくなる。アイドルの優斗くんとアイドルの優斗くんのオタクなわたしがなくなる。けれど破片は優しいかがやきを宿したまま消えないはずだから、はじけてばらばらになった光をもてあそびながら、いつまでもいつまでも、そこで揺蕩っていたい。