優しい閃光

背番号2番、立ち位置は0番。わたしのいちばん

あたまではわかっていてもからだがおいつかないってことがあるけれど、このあいだからずっとそれのこころ版を体験していて息つく暇もない。泣いたり笑ったりをはげしく繰り返している。きっと他人からみたらその起伏の激しさになにごとかとおもうはずだし、きっと他人からみたらこんなくるしくてつらい状況で腹を抱えて笑っているのもなにごとかとおもうはずだ。おそらく今のわたしは他人を怯えさせてしまう。でもこれだけは想像上の他人に言っておきたい。くるしくてつらいけど、くるしくもつらくもないんだよ。

 

どうしてだとかなんでだとかの類いのことばは驚くほどまったく出てこなくて、悪者なんていないと信じてみる前提で近年におけるさまざまな情況を見渡しての感触であるのはそりゃあもちろん否めないけど、かといってそれが100なわけでもなく、ひたすらに、そういうこともあるか。まあ、そうだよね。とおもった。いまもおもっている。そっかあ。そうですよね。うん。中身がなんなのかはわかっていても、自分にそれをのみくだす覚悟はできていても、もうのみこんだのであろうひとたちを前にすると多少たじろぐ。のむこむよ、のみこむけどさ。絶対のみこむけどもうすこし待ってほしいかも。10日とちょっとって、本当に絶妙な「もう少し」の期間設定だ。

なんで、なんて意味のない問いだ。じゃあなんで、続けてくれていたんだろうって、それとおんなじ話だし。あるのは優斗くんがそこに9年もいてくれたってこたえだけだ。わたしはこたえだけを抱きしめていたい。なんだこの世界一顔がかわいくて世界一顔が好みの男の子は!あの少クラもあの雑誌もすべてかわいい!衝撃。衝撃。かわいい!衝撃。気づいたらふらっと辞めちゃってそう!失礼。それならいますぐ応援しないと!軽率。はじまり。そこからおおよそ8年もこの趣味が続いてそれなりに一生懸命でいられたんだから幸福すぎるといっていい。知らぬ間にわたしはゆうぴーを好きという部分だけを守ったままずいぶん変わった。動かされて溶かされて増やされてきた。わたしは優斗くんからたくさんのものを受け取ってきてそれを抱えるのに精一杯で両手があいてない、ので、すごいスピードでどこかへ走り去るゆうぴーの腕も、服の裾も、掴んで縋ることができない。それでなくてもいままで全力で駆け抜けきてひとつの後悔をももたないひとを誰もひきとめられるわけがないのはよにんのことばを受けて再三再四に思い至るところだ。夢や目標に貪欲で好奇心がつよくて頑固で、傷つくことを厭わない。ここぞというときにためらわない。どれだけ挑戦とされることでも、自分の信じる光へ走るのをやめられない。君はこういう生き方を選びとるんだね。そうか。そうなんだね。そうですよね。何度も何度も見せつけられ思い知らされいくつものさみしさとおそろしさを抱いてそれから、数えきれないほどの希望を観測してきた。そうやって進みながら、ただかわいいだけの笑顔をしてしまう優斗くんがすきだ。

つまるところ、あとののこりはわたしの問題でしかない。どうのみこむか。いつのみこむか。だいすきなアイドルが、そのまんま、わたしにぴったりはめこまれただいすきのかたちのままで去っていく。こんなに幸福なことはない。

 

じぶんとじぶん以外における起伏がまあまあまるごと苦手で忌避しているので大きく飛ぶことも転ぶこともない選択肢ばかり手にとっててきとうにへらへら生きていたら衝撃の大きすぎるできごとが起きたときの対処法がまったくわからないまま成長してしまいここ数日間ずっとあたまを抱えている。涙ってこんなに飽きもせず毎日何時間もでるもんなんだーと、ゆうぴーはいつもわたしに気づきをくれる。リアリティのないぼんやりとした終わりを感じたからこそのはじまりではあったものの、見ていくうちにずいぶん責任感がつよく、持ち前のあかるさと同居した仄昏さすらむしろ儚さのみにあてがわれていいものじゃないと気づいていった。それでも優斗くんと一緒にいるピリオドの存在感は無視できるようなものではなくて、そこにあるのが当たり前で、よく、いつかいなくなったとき、だとか、あしたいなくなっても、だとか、強がりでも冷笑でもなく、むしろ愛で染まった情念を振りかざすようにしてそういうことを思っていた。なのにいざそうなったらみっともなく毎日泣いていて情けないとかのレベルじゃない。夜泣いてから寝て朝起きて泣いて、おもしろいかおで社会にひそむのなんてべつにふつうにはずかしいしぜんぜんこんなのやりたくない。あたりまえだけど。ゆうぴーの選択がまちがえてたことなんてない。選択を正解にできるまで立ち向かえるのがゆうぴーだ。だからあとはのこりぜんぶわたしの折り合いの問題。難しいなんてことはひとつもない。ただ涙がとまらなくて、悲しくて、悲しい?悲しいのかな。まだわかっていない。かなしいって言いやすいから言ってしまいがちだけど、どちらかというとさみしいのかも。会いたい。会いたいよゆうぴー。でもどこまでもどこへでも行ってほしい。どんな場所にだって行けるよ。わたしはゆうぴーにいろいろ連れていってもらってたから分かるんだよ。引き止めないし、ここに居て行かないでとも言わない。でもせめて会いたいよって想うのだけはゆうぴーに出会ったその日からちょこちょこやっていたことだから続けさせてほしい。優斗くんに会いたいよー。会いたい。でもね、ぜったいぜったい呪いたくないんだよ。

優斗くんをとりまく世界のそこかしこを睨みつけてたくせに、ほんとうはどこの誰よりわたしがいちばん傷だらけのゆうぴーに心を乱されていた。背徳は常にわたしのうしろに張り付いていたけど前を見ればいつもゆうぴーの笑顔があった。

 

報告動画をみた。わたしのすきなゆうぴーがかおをかちこちさせてしゃべっていて、まったくもってあなた誰ですかとなれなくてわたしがもうひとりつくれるんじゃないかってくらいいっぱい泣いた。こないだからからだの先っちょがずっと冷たいのは涙に熱をすいとられているのかもしれない。訥々としゃべるとき、ことばとことばのあいだに挟まって思考が呼吸しているのがわかる。優斗くんの話し方。優斗くんのする顔。のみこむ以外になんにもないんだよなって、そうだよなーって納得した。優斗くんがなんて言おうとどう思おうと優斗くんは期待にこたえつづけてここまできたひとだし、優斗くんが届けてくれたことばが贋物だったこともないよ。よにんがくれるあかるさに照らされてとちゅうでかおをゆるめる。だれかに伝えるためのおしゃべりをする。そこにいたのは、わたしが、名前と、顔と、たったすこしのことを知っている男の子だった。みているだけでなみだとえがおがあふれてしまうだいすきな男の子。

そっかーー。

きょうも優斗くんがだいすき。てかゆーちゅーぶみて笑いすぎていい加減にしろー!ってきもちでいっぱいになった。ゆうぴーってわたしとはいはいじぇっつを笑わせるのがほんとうにじょうずだ。

 

分かってた、気づいてた、なんて優斗くんを好きでいるうえでもっとも使いたくないことばだといえる。というか実際に、もしかするとなにかしらの区切りやタイミングであるのかなあとぼんやり感じていたのみで、それはただ「ぼんやり感じていた」の域を過ぎない。じぶんのも、世界のも、過信を直視するのはいたたまれない。

伝記が一周したことでよりあたまのほうはかなり理解度が進行している。こころもまったく進んでないわけではないけどスピードの差がかなりあるので距離はどんどんとあいていく。周回遅れになる前にどうにかしたいところだ。追いつけなくなる前に。いまいちばん恐れているのが時が経ちすぎてしまうことだから。かなしみ(仮)を癒すには、結局のところ時間しかないっぽい。なんとなく時間の効力とすごさは予想できる。きっと、傷はいつか塞がるし、穴は次第に小さくなってほとんど埋まるし、涙は止まる。そういうことなんだろう。わたしはそれがどうしようもなく怖い。だいすきがだいすきだったに変わるのが怖い。今があの頃に変わるのが怖い。痛みが消えるのが怖い。あのときあんなことがあったよねって、それだけで言い表せてしまうような過去に収まってしまうのが、おそろしくてたまらない。ならばすべてを証明してくれるみたいなこの痛みが永遠になればいいのにとすらおもってまあそんなの馬鹿馬鹿しくこどもじみているとわかっているけどでもこれすらも手放したくないくらいなにも失くしたくないんだよ。

まだ涙は尽きていないし夜中に何度か目が覚めるし胃にたべものをうまく押しこめなくなった。一時的にできないことが増えている。

ここにいてと叫んで縋れたらよかった。でもそれもできない。

 

いや、感傷に浸かりすぎるのってどうしようもなく恥ずかしいものがあるよ。なんだかんだ元気に生きてるのだって立派な事実なんだから自己憐憫もほどほどにと言い聞かせてベッドから立ち上がる。くよくよするのはいいけど自己再生もセットでつけないと。からだは不健康でもこころは健康的にくるしみたい。というか嫌いになったわけでもゆうぴーに傷つけられているわけでもなくましては泣いてる時間とおなじくらい笑ってる時間もあるんだしちゃんとどちらもカウントしないと不公平だ。どんなときでもおもしろかったら声をあげて笑えるっぽくてすごい。いろんな場所で出会ったともだちが心配して連絡をくれたり、おなじはふのともだちやフォロワーと言葉を交わしあったり、そのひとつひとつの心遣いや感情の共有にわたしっていうにんげんにとってのゆうぴーの存在の大きさを自覚してこんなときだけど頬がゆるゆるする。はしもとさんをすきなおともだちが夜を徹してわたしをひとりにしないでいてくれているのにもすごくすごく支えてもらっている。たぶんこれ読んでないとおもうしまたあとで直接いうけれど、ほんとうに感謝しているからここでもありがとうって言います。ありがとうー!上に書いたなみだとえがおがちょうどおなじだけってまあまあ嘘で実際は笑いの方が勝っているまである。わたしとそのともだちは出会ってすぐのころからずっとふたりだけの面白さを共有できたけど、お互いそのときなりの守りたいものがあって抱きしめたいものがあって自分のいちばんだいすきなひとを一生懸命にすきでいたかったというのもあって悲哀を共通させるのはあの頃ではたぶんできなかった気がする。それがいまあとで思い返して爆笑がこみあげてくるくらいふたりで大泣きできるのはハイハイジェッツって箱がわたしたちにとって守りたいものの内側に入り込んじゃったからなんだろうな。なにしてくれてんだって言いたいけど昔のわたしたちの警告を振り切った現在のわたしたちがどう考えても悪いので閉口。わたしはこのできごとを決して泣いただけの思い出にしたくないので、どうにか未来地点からみても分かりやすく派手で目を引いて笑えるような期間にしたい。髪とか切ろうかなってちょっと本気でおもってる。安直人間。まあふつうに連日泣きすぎているのですでにあのときさー泣きすぎてたよねウケるねくらいの付箋は貼れてはいるんだけどね。

 

はいしかをみた。未公開映像で、雨の中、傘をさして打ち上げ花火を見上げるごにんをみてしんぞうが砕けるかとおもった。結局いちばん雨男として戦犯なのがゆうぴーなのかどうなのか、こんなかたちでこたえあわせはしたくない。雨の中で一瞬ではじけて消えるまばゆい輝きをみつめるごにんに、はじめてごにんでやったEXシアターでの公演を思い出してしまう。この夏の青春をすべて詰め込んでくださいと言われたから、せめて8月のすべてくらいはあげたいとおもったから、ローラーをぬいでごにんでくるくる円になってまわっていたから。わたしがすきなのはアイドル髙橋優斗くんなのでもっていかれないようになにかと踏ん張っていた。きっとすきになってしまうし、というかなってしまっていたので余計だったようにおもう。わたしが抱えたいのは優斗くんがくれるものだけで、そのほかはいらなかった。それでも優斗くんがさしだすもののなかにはごにんがふくまれていて、わたしはため息をついて見ないふりをしながらこっそりいくつも抱えた。それがこの結果なので、どこまでいっても自己責任でしかない。行動も、感情も、常に責任がともなう。わたしはわたしの愛憎に責任をもつ必要がある。

そこではひたすら自由がもとめられていた。自由に、自分らしくいるだけがすべてで、むしろむずかしいだろうに5人ともがそうつとめていた。後回しにしている調和もなぜか最終的にはおとずれてくるところが憎らしくて奇跡みたいだった。よく全員がうちがわを向いて歌っていた。ほかのことがすべて違っても、たったひとつ共通したなにかで繋がりあえるひとたちのステージがこのうえなくすきだった。いや、すきにさせられた、と言いたい。いまだに本気でくやしいからだ。

 

今朝、ほんとうにほんとうに最後になる手紙を出してきた。言いたいことはたくさんあって、でも伝えたいことはありがとうとだいすきのふたつしかなかったから、最後がいちばんシンプルな文面になってしまった。きょうも泣いている。まだ泣くのかよとおもう。けれど、我ながら呆れるくらい流している涙やずっと引かずに胸に居座るくるしさ、向き合わなきゃいけないさみしさ、そういうぐちゃぐちゃなきもちをすべて差し引いても、ゆうぴーに与えてもらった幸せやあたたかさがまだわたしのまわりやうちがわにあふれている。だから泣きながら笑えている。優斗くんがだいすきなわたしのままだからこそ。優斗くんがひたむきでやわらかくてあたたかくてかわいかったから。どんなときでも誠実なことばとふるまい、視線をそそいでくれたから、わたしはなにも損ねることなく後悔もなくくるしくもつらくもない様子でおしまいを執りおこなえる。変わりゆく世界のなかを変わらぬたましいのまま横断していくゆうぴーのファンですわたしは。きちんとのむこむのでまだあともうすこしはアイドルゆうぴーのファンとして生きたい。笑顔でね!

 

世界が終わる日に降り注ぐであろう特大の幸福を全力で受け止める用意と、愛しい後頭部に じゃ!!!!!とおおきく手を振れる準備運動をしていればきっと次の瞬間に君は星になっている。