優しい閃光

背番号2番、立ち位置は0番。わたしのいちばん

ジャメヴな逃避行

狭い檻の中、赤い囚人服を萌え袖にした男の子は不自由を指折り数える。お祭り、海、恋。牢獄の中にいては、夏を夏だと感じられるすべもない。ここにいたままはできないことを数えたのち、徐に見慣れた仕草で指を鳴らした。

「そうだ、脱獄しよう」

 

毎年必ず過ごしているはずなのに、迎えるたびにその暑さに新鮮に絶望する。暑いのも日焼けも汗をかくのもいやで、水分をとるのも下手で、日差しでスマホの画面が見えにくいし日傘で片手が塞がるのが煩わしい。なにより、ただ生きるだけにも普段よりエネルギーが必要になるかんじが嫌い。だからたとえどこかへ囚われていなくたってお祭りに積極的に行くことはないし、看守ふたりに監視されていなくとも海には滅多に行かない。けど、好きなアイドルには会いに行きたい。夏が大嫌いなわたしの大好きなアイドルは夏が大好きだった。

アリーナコンサートは今回で三度目。けど夏にやるのははじめて。季節ごとにはじめてという特別をつくれるから、四季があるって素晴らしい。今回の優斗くんのソロが前々からやりたいと教えてくれていた真夏の脱獄者だったのも、素晴らしい。2023年の夏、23歳の髙橋優斗くんの演る真夏の脱獄者。一見まっすぐでとっつきやすい、わかりやすいパッケージに思われがちなのかもしれないけど、その実、複雑な多色性をもって人の目にうつる優斗くんの持つ生来の掴みどころのなさが作り出す自由で勝手気ままな甘い逃避行は、差し伸べられた手を握って身を預けたくなる頼り甲斐もあれば、ときたま覗くかろやかな色っぽさと表裏一体のあどけなさに、捕まえたい、このかわいくてずるい男の子を逃したくないなんて焦燥にも近い気持ちすら掻き立てられる。優斗くんがやりたがっていた優斗くんの好きな曲で押し広げられる世界に入り込みながら、すごい!!ゆうぴーがわたしの大好きなゆうぴーをしてる!!の気持ちで心がひたひたになって利府で溺れた初日。いつもそうだけど、優斗くんが提供してくれる優斗くんにハズレがないの、幸せなことすぎて理解に時間がかかる。わたしは優斗くんがかわいいから好きだ。優斗くんがかわいいかぎり、ずっと優斗くんのことが好きだ。

ステージを飛び跳ねるように逃げては、おとなびた甲斐性の中に見せるこどもっぽい表情がひとの心をいたずらにくすぐる。その心地良いアンバランスさは優斗くんのいくつもある大きな魅力のひとつだし、人間としての自己表現とアイドルとしての自己理解のバランスの良さが現れているステージだなとも思った。たっぷりの自然なかわいげにひと匙の隙を浮かべてやさしく溶かして、ずっとそばに居てくれるようにも、次の瞬間に忽然と思い出に消えてしまうようにも感じられる佇まい。すこし熟れすぎた果物みたいな、しぼんでちいさくなったわたあめみたいな、甘ったるさが凝縮されたうたごえが発揮されていてかわいい。曲本編より長い前振りのコントも、終わりでこどもたちをころがして笑う無邪気さも、一つ一つがらしくてかわいい。優斗くんがかわいいままに大人になってくれていること、本当にうれしくて泣きそうになる。かわいさに温度があるのなら、優斗くんのかわいさは限りなく人肌に近いのだろう。かわいくて大好きなアイドルから、そんなふうに「最高の夏に背を向けないで。早く今を生きて」なんて歌われたらどうしようもなくなってしまう。かくして、今年の夏の主題が決定づけられた。

アリーナで見る夏の優斗くんは最高の一言に尽きた。夏が暑いのを毎年忘れてその熱気に驚くように、優斗くんの顔が好きすぎることに現場のたびに驚き感動するオタクという生き物。夏のアリーナははじめてだったけれど、もうひとつはじめてがあった。アリーナ規模でははじめてかつ、およそ4年ぶりになる単独現場での声出し。本人たちもオタクも待ち望んでいたその一手は開演前の演出からはじまっていた。こういうとき、優斗くんの声でホスピタリティの単語がよく再生される。彼らのことを好きなひとたちの声が大きな会場にこだまして、うれしそうな顔がうれしくて、何度も涙がこぼれおちそうになった。特に、はいじぇのコーレスタイムで膝に手をついて重心低くした姿勢で声を聞いてくれるシルエット、もっともっとと煽る手のひら、恒例のさんきゅ!を浴びたときに、長かった4年間を想ってぐっときた。さんきゅ!かわいい顔でかわいいお礼を言って間も無くローラーをかっ飛ばしてエネルギッシュに外周に飛び出していく優斗くんは、4年たっても変わらず声を力に変換できるひとだった。持ち前の胆力や訴求力はもちろん、なにかに背中を押されることができるのものひとつの才能だ。スーパーヒーローの素質。

ヒーローといえば、2曲目のアザサイ。動線にここまでときめくのってローラーならではなのかもしれないなってしみじみ感じた。特に、バクステからセンステに先にひとり向かうところ。強気に佇む優斗くんの足元をゼロに世界の中心がはじまってゆくようで、とにかくすごかった。バクステに背を向けたまま人差し指を突き立てる。ゆっくりと握りこめたその手の中には、目には見えない無数のエネルギーが存在していた。優斗くんのハンドサインは、暗澹たる道を照らす光にも、脱獄への魅惑の誘いにもなり得る。日々だれかのなにかになっているこの手のひらが、いつか絶対に望むものすべてを掴んでくれないと困るな、と祈りながら視線を向けた。そうやってわたしやだれかから奪った視線や感情をバクステに向けたまんまの背中にしょって、楽しんで強がって力に変えて、世界の中心を蹴っ飛ばして笑顔で車輪を回すのがヒーローのお仕事なのかもしれない。あと、4人が合流する流れをもって無敵の顔をしていた気がするのもよかった。しばしば自分自身以外から自信を見つけて内側に宿す瞬間をみるたび、生まれながらのヒーローではなく、ヒーローであろうとする男の子が好きなのだと実感する。ゆうぴーはアイドルでスーパーヒーローで人の子。そんな優斗くんのこと、ずっとずっと大切に好きでいたい。これまでそうしてきたように、これからもずっと。

これまでも、これからも。最高の今にあてられて過去と未来に思いを馳せる瞬間がいくつもあったコンサートだった。ぴかぴかでスライドショーされていたいくらなんでも大切すぎる写真たちを見て、すべては地続きなのを改めて実感させられた。いくら時が過ぎても本当に消えてなくなっちゃうものなんてなくて、実は、大切に好きでいたものは、自分が守り続けるかぎり消えなかったりするのかもしれない。この演出を思いついて実行まで持ってくるあたり、彼らも彼らなりにこれまでを大事にしてくれているのがわかってうれしかった。「根拠なんてどこにもないけど無条件に」って、すごくHiHi Jetsだ。この5人でいると自信が湧く、なんでかわかんないけどって、いつかの優斗くんも言っていたね。かつてのじぇっつは、これからも俺たちのことずーっと愛してくれますか!って、わたしたちが肯定でしか返せないのを逆手にとって聞いてくる小狡くてわがままで不安定で切ないくらいに愛おしいこどもたちだったけれど、今おこなわれる彼らからの問いかけとオタクの返事は、愛情はそのままに数年前とはすこし違う意味合いや空気感があって、待ち焦がれたレスポンスを終えて完全に幕が降りたあとのアリーナはやたら不思議な壮麗さがあった。

「おれの職業はおまえを幸せにすることだ!」←突然ですがこれは大好きが大暴れしてもがき苦しんだとある日のだぁどらセリフです。何を隠そうわたしの趣味は優斗くんで幸せになることなので……。幸せと幸せの重なり合いに、こんなアイドル一直線セリフが好きなアイドルの口から飛び出したことふくめて大好きが爆発した。優斗くんを好きになってからまあまあそれなりの年月が経ったけれど、どれだけ季節を過ごしても好きが重なり続けるばかりで、もう、以上も以降もいらないな、というところまできた。たとえ優斗くん以上がこの世界にいたとしても、優斗くん以上の思い出はほしくないかなーと思うからです。もしかすると、わたしはゆうぴーだけに巡り合うために、わざわざオタク気質にうまれて、いろんなもの、ひとを好きになって、そうした紆余曲折を経て自分にとってのど真ん中の最適解の大本命に出会えたのかもしれない。そんな馬鹿馬鹿しいことを本気で考えながら、先程のセリフのおかげでしばらくやぶけたままだった心臓を縫い付けるような心地でその日は君だけにを聴いた。そして優斗くんのやわらかで清冽な雰囲気はわたしを惑わせるから、馬鹿馬鹿しいけれどやっぱり絶対そうだよなー、というところに帰結した。そうだといいな。

イカの汁をオタクにかけて、オタクを煽る顔がうざくて、ひとりでレイを頭にぬーっとかぶって、オタクの声を聞いてうれしそうに笑うのがかわいい。ぜんぶかわいい。夏曲メドレーの担当もスイカ割りの発案も優斗くんらしい、夏が好きすぎる。まったく相容れないけどかわいい。「夜が明けるまで この手離さないで」そう歌って地球さえ簡単に抜け出して宇宙へと連れていってくれる今年の夏の優斗くんは、捕まってしまうのも納得なくらい罪作りにかわいかった。檻からするりと逃げ出す優斗くんを捕らえるみたいに、あるいはその手をとって一緒に逃げ出すみたいに、これからもかわいいひとを追っかけていろんな場所でかわいい!って叫びたいし、少しだけ大人になった愛おしい問いかけに、大きな声でハイハイ!って応えたいし、なにより、まずは城ホで優斗くんの顔がよすぎることに驚いて叫びたい。しおりを挟んだ夏の続きがいつかできたらうれしいね。

 

アリツアのぴかぴかで見たスライドショーが記憶に新しいうちにイレギュラー的に呼ばれた六本木の屋上は懐かしくも新鮮で、そんなEXシアターで見る夏の優斗くんはなんとも最高だった。

MCとして真価を発揮する姿も、長引かせて後輩につっこまれてたのも、そうやって後輩に強くこられるとうれしそうなのも、シャボン玉まみれにされてやっぱりうれしそうなのも、PAISENとして百点満点にぜんぶかわいい。ときには声を枯らして何百回何千回と客席を煽ってきた箱で堂々と盛り上げる姿はかっこよくて誇らしかった。少し話題は逸れるけど、じぇっつがバックをつける理由がわたしは好きだ。自分たちがどこに属するチームであるのか、どうあるべきかを胸に刻んでいるひとたちの高潔さ。その誇りはどんなときでも誰にも穢されないと強く信じている。

サマキンで甘い呂律がセリフを言っていたのが感慨深くてすごい景色だったように、環境はもちろん公演中もいろんな懐かしいのトリガーが散りばめられていて、けど今の優斗くんに必死で思い出に浸る暇もないのが実際のところだった。ただひとつだけ公演中に鮮明に思い出したのが、「この夏の青春をつめこんでください!」の言葉。この箱にはぜんぶがある。はじめて優斗くんを見た場所。嫌いな季節を特別に変心させられた年。きっと青春って振り返って指でなぞるまでがワンセットなんだと思う。優斗くんとの青春がどこまでも続いたらいいのに、と思いを寄せながら、大切がぎっしり詰まった箱で優斗くんと一緒にこどもたちを見た。

 

ドームで見る夏の優斗くんもまた最高だった。大勢のなかで仕事人になる優斗くんの覚悟と自覚の表情には、普段のかわいさをこねまわすような好きよりかは、ぴりっといくばくかの緊張の走る好きをおぼえるのでついついこちらの背筋も伸びがちになる。わたしがしゃんと姿勢を正して覗くまるい視界にとどまらず、まるいドームのただしく中心で場をぶんまわして、聞いて、伝えて、管理してと立ち回っていた振る舞いはとても立派で、 きっかけもふくめ、こうあるためにたくさん転びながらもひたむきに走ってきた姿をたとえ全体のほんの一部だとしてもたしかに見てきたからこそ毅然とした仕事ぶりがひとしお心に沁みる。自己実現を他人のロマンにしてしまえるのも職業アイドルゆえの恐ろしさであり、優斗くんの魅力の一翼。

5人でいるときの伸び伸びとした進行(たまの放棄までふくめ)も、EXシアターでこども公演MCを先導するのも、ドームで200人ぶん回すのも好きなのにそこで号令までかけるもんだからたまらず駆け出す好きに追いつけなくなる。ただそこにいてくれるだけでもじゅうぶんなくらい好きなひとがそこにいてくれる以上の振る舞いをしてくれるありがたさと背番号2番のユニフォームを、今一度噛み締めてふかくふかく味わった合同公演だった。あとドームでも顔がかわいかった。

 

8月が終わっても夏はもう少し続いた。前月とは変わって背番号は8181。横浜スタジアムで見る夏の優斗くんはそりゃあもう最高だった。

横浜スタジアムでのセレモニアルピッチは二度目。雨で中止になった試合のリベンジで、横浜をこよなく愛する優斗くんがもう一度機会を与えてもらえるくらいには求められていることがわかって飛び上がるくらいうれしかった。横浜について、横浜DeNAベイスターズについて語る優斗くんが好きなのは、ふんふんと意気揚々に語る姿がかわいいのもあるけれど、たくさんの人間に愛と夢を提供するそのひと自身が愛も夢もたくさん抱いている様に感動するからというのが大きい。さっき、自己実現を他人のロマンに、と書いたけれど、優斗くんのひとを夢へ巻き込む力はこのへんも起因していると思う。

当日、まず黒髪前髪ありに倒れる。再三再四になるが、わたしは夏が暑いことをいつも忘れるし、前髪がないことに慣れると前髪の破壊力も忘れます。そしてみんなのアイドルゆうぴ♡でひとしきりオタクを吠えさせたあと、使命のもとにハマスタのマウンドで愛を語る魂のおしゃべり。わたしは優斗くんが強く美しい生き物なことをとうに知っている。知っていてなお、毎回そのとろけそうな輪郭と鮮烈な輝きにはじめましてみたいにくらくらくるし、流れ込んでくる言葉の怒涛の精神干渉とときめきに気圧されて白旗を上げて、迷いなんてどこにもいなくなる。必須のアイテムボールとマイク。やわらかく気高く育った、大好きなおしゃべり。

話はアリツアに戻って、仙台初日の挨拶。優斗くんが話しながら心臓あたりを手でぎゅっと握り込んでいて、すごい、今このひと、そこでおしゃべりしてるんだ。ってはっとした。才覚溢れる脳でのおしゃべりももちろん惚れ惚れするけれど、心臓でのおしゃべりは感情がおおめにのっていてそれだけにどきりとさせられることも多い。今回の挨拶の尺は恒例化していたボリューム感よりずいぶんとぎゅっとコンパクトにしたようだったけど、だからこそ一言一言が粒立ってきこえた。それから挨拶で印象的だったのがもうひとつあって、有明での挨拶で死生観に触れて会場の温度と湿度がきもちじわっとあがったとき、メンバーが肯定も否定もなく、ただ明るくからっと言葉を差し込んでいた光景にグループという存在のおおきさを感じたこと。HiHi Jetsの、ひとの感情に手垢をつけずフラットにやり過ごせるところがいい。そのひとのさみしさも怒りもよろこびもそのひとのもの。わたしにとっての夏。彼にとっての夏。忌々しく愛おしい季節。オタクが知れることなんて本当に一部で、見えないところどころか優斗くんがくれるおしゃべりからすら我々が真意や真実を完璧に汲み取るなんてできなくて、そしてそんなことはきっとわかっていてなお優斗くんはマイクを握る。どんなときでも大義と美学を持っておしゃべりをする。なんと健気で強かなひとだろうか。

「みなさんが胸を張ってぼくたちの話をできる世界を、ぼくたちが作っていきます」これもまた大好きな優斗くんのおしゃべりのうちのひとつ、五騎当千での挨拶の一節。生まれ育った大好きな情景にいつもの赤れんがカップルを差し込んで、横浜とベイスターズへの想いを語る、声援が力になることを知っているひと。優斗くんが優斗くんでいてくれる限り、わたしはなにひとつ恥じることも臆することもない。感謝したいことこそいっぱいあるけど。狙いからすこし逸れた軌道にあわてる表情も愛おしくて、みかん氷がおいしくて、詳しくないなりに野球がたのしくて、屋外の茹だるような暑さも見逃して許した。試合はめでたくベイスターズが勝利して、チームを祝福する青い光がハマスタを囲んでいた。それを見ながら、港があり、穏やかな風が流れ、そして赤れんがにはカップルが集う、優斗くんが愛するそんな横浜が好きだなと、夏の終わりにこっそり心臓らへんを握りしめた。

 

最高の夏に背を向けないで。早く今を生きて。自担がそう歌った日から、大嫌いな夏はずっと最高の夏だった。人生をこなしながら優斗くんに会いにいくだけの夏が前年までとなにが違うんだといわれると痛いところだけど、夏嫌いの人間が、今年も最高の夏だった!って笑顔で宣言できるんだから、わたしの脱獄も成功としていいんじゃないだろうか。お祭りにも海にも行かない。けど目的を広義の恋に定めて社会を抜け出す。優斗くんに出会った年から今までずっと、わたしにとっての夏とはそんな季節だ。いつかこの数ヶ月もあのスライドショーの一枚になるのかもしれないけど、それでいい。大切にする限り大切は消えないし、毎年懲りずに暑さに驚くように、大好きなアイドルを前に何度だってはじめてのような身を焦がすときめきを感じられる。そしてそのたび夏を許して見逃して、また次の夏が来る。

今年の夏も優斗くんが大好きだった。あ、そういえば恋祭りを歌ってたし、夜のハマスタで見た青い景色は海みたいだった。お祭り、海、恋。何気に全部できたってことでいいかもしれない。

木枯らしとブーケ

昨日の朝、枯れ葉を踏んで歩いた。すこし前から生活する場所が変わって、歩く道も新しくなった。なるほどこの場所はここに落ちた枯葉が敷き詰められるんだ、と知った。吹く風はしっかりとした冷たさだけれど、歩いているとむしろちょうど良くて、顔の上半分に触れる外気が気持ちよかった。すごく、優斗くんの誕生日という感じがした。今年も髙橋優斗くんは当たり前に年を重ねた。

夏、優斗くんが不在だった公演で、「本来うちには22歳の元気な男の子がいるんですけど」と猪狩くんがなんともなしに言っていて、それがすごくよかったのを、いま文章を打ち込んでいてふと思い出した。22歳の元気な男の子。なんだかすごくいい。年齢と性別と、たったひとつの、それもなかなか単純でシンプルな表現をされた気質しか情報がないのに、HiHi Jetsにいるときのゆうぴーの顔がありありと浮かぶ。目がやわらかく溶けた三角になって、ねこひげが浮かんで、前歯がちょっとだけ見えてて、変なノリでふざけたことをして年下を振り回しているときの顔。元気って言葉もいいし(元気。ユウピー)、男の子っていうのがまたいい。“22歳”の“男の子”。わたしは、優斗くんが何歳になってもきっと彼を男の子とするだろうから。深慮と聡明さを無邪気さが包んでいる。青年はわたしの中でいつまでも少年だ。23歳も、元気な男の子を地でやっている優斗くんをたくさん見られるといいな。

けれど少年はとっくに青年だ。優斗くんも、それからわたしも、年を重ねて形を変えていく。いや、年を重ねるから変わるわけではないけれど。きっと、時間や月日を経て変わらないもののほうが少ない。ある区切りで年齢という数字が動くだけだ。良くも悪くも、発信の仕方も受け取り方も、それに付随する感情のゆらぎも当然のことながら変わっていく。22歳の優斗くんには、それを改めて痛感させられた。春に行われたコンサートのときだ。好きな顔がアイドルをしているのを見て満たされるとか、きらきらとした姿や表情で英気が養われるとか、つよい意志にあてられてくらくらふわふわ高揚するとか、いつものそういうのじゃない。そもそも普段の回路と違うのか、元々わたしの受け取る力が発達していなかったところが鍛えられたのか、そのときの心身の状態の問題か。いまだにまったくわからないけど、優斗くんに対して、真っ直ぐ言葉通りに「救われた」って感情が芽生えた。アイドルとは本来そういうものなのかもしれない。けれど、わたしははじめてだった。すごくドキドキした。ひとつひとつの仕草がやけに大人っぽく見えた。こんなとんでもないものを貰ってしまっていいのか、なんて謎に焦った。してやられたようで若干の悔しさもある。感情がぐちゃぐちゃになって整理整頓できなくて、今もぐちゃぐちゃのまま散らばっている。けど、その乱雑したかんじもちょっと心地よくてわくわくするからもうしばらく怠惰にこのままにしていようとおもう。変化を切り取っておいてなにもしないなんて、ちょっとだけ背徳感がある。優斗くんはまだまだ目新しいどきどきをくれるらしい。

 

22歳の優斗くんの背番号は8181だった。ホームグラウンドの土を踏んで、滑り込んで、よく喋りよく笑っていた。夢に貪欲なひとだ。とにかくラクに、振り幅少なく生きていたいという人生観の自分からしたら、ときに目が眩んでしまうほど。まぶしくて、かわいらしい。夢に向き合う優斗くんの顔は可愛い。優斗くんの夢はわたしの夢、ではないけれど、間違いなくわたしは優斗くんに夢を見ている。よいしょよいしょとたくさん袋に入れて持ち帰りたいなんて言わない。優斗くんの夢と現実が結びつく、望みと期待が叶う折、ぱちんとはじけた輝きの、砂の粒のようなひと欠片を大切に持って帰れればそれでいい。そんなかんじで、これからも夢を追う姿を追い続けていきたい。23歳までの優斗くんの夢も、23歳になって新たにできるかもしれない夢も、全部叶いますように。

なんて願うわたしは、他人の夢でときめきを得る人間だ。そういうふうに売られた商品に、そういうふうに価値を見出して買う人間。己の預かり知らぬところで他人に勝手に恋されて愛されて、それで息を吸えるなんともいびつな場所で生きてる優斗くん、を好きでいる。アイドルを好きでいる人間。恐ろしいことをしている自覚がうっすらと、ただずっとある。大好きで大好きで、それゆえに勢いでずっとアイドルでいてほしいなんて呪いを吐いてしまうこともある。持っている免罪符はどれも薄っぺらいくせに、必死に握って好きなアイドルの裏側にいる本人を縛ってしまう糸のひとすじだ。ひどい生き物だろう。けど、いつもありがとう。これからもついてきてください。日本一のファンにしてみせます。なんて、誇らしげな笑みで甘言を振りまく姿も少しだけずるくてひどいから、もう、呪い合いだとおもうことにした。ずるくてひどくてかわいいアイドルが好きなわたしは、もうとっくに日本一、幸せなファンだ。

 

弱くて脆い、見逃してしまいそうな名のない偶然に、運命という名前と色をつけてくれるひとは、きっとアイドルになるためにうまれたわけじゃないひとだ。次世代、ジャニーさんの最後の推し、グループを背負う個人での仕事、たくさんの色をつけられてたくさんの肩書きを背負って働いている。けど、優斗くんが優斗くんでいてくれるだけで愛して、喜べる人がいるってこと忘れないでほしい。それさえ頭の片隅においてくれていたら、優斗くんに望むことはほとんどない。いつも髙橋優斗くんを貸してくれてありがとう。髙橋優斗くんでいてくれて、ありがとう。

ああ、すこし欲張ってもうひとつ望むこと、心身共に健康でいてほしい。だから、健康に無頓着な人じゃない、なんならむしろ健康オタク思考なのはすごくありがたいことだなあとおもっている。ご飯を美味しく食べようキャンペーン、すごくいい。美味しく食べてね。夢が叶うことと同じくらいかそれ以上に、毎日美味しくご飯を食べてくれることを願っています。

 

23歳を迎えた優斗くん。雨の日も晴れの日もアイドルをする優斗くん。これから1年間また、自分に必要なだけの、今の優斗くんをとりこぼさないように。いままでを大切に、新しいときめきをたくさん知れるように。

 

こちらこそ、23歳もよろしくね!

せいれいをたどって

その日は珍しく雨も降らず、ほのあたたかい気温が東京を包んでいた。大きな荷物を引きながら新幹線乗り場のホームに出ると心なしか春のにおいがした。優斗くん曰く、春のにおいはふわっと香る優しいにおいで、「あったかい感じがして春だなーって思う。幸せ」らしい。日頃から優斗くんの発言や考え方、物の見方に共感を得ることって個人的にはあまりないんだけど(そこを好ましく思っている)、それでも時々は、ああ、わかるなあと言いたくなることがある。四季や自然に関わる感性や、日常生活のなんてことない事象についてはシンパシーを覚えることが多い。やわらかなにおいに包まれながら新幹線に乗り込んだ。まさに春の陽気のようなあたたかく優しいアイドルに会いに行くために、わたしは宮城へ向かった。

 

HiHi Jets初の、東京を飛び出して行う単独公演。横浜公演の次は関東も飛び出して宮城へ。三年ぶりに降り立った仙台駅。歩くたびにすれ違う、目的地が同じだろうと推測される人々。シャトルバス乗り場への案内看板にはHiHi Jetsと公演名の文字が印字されている。昼夜間の暇つぶしに苦労する山奥にある会場で東北らしいひやりとした風を浴びる。牛タンも食べた。はしもとさんほどじゃないけどわたしも牛タンがとても好きなので二泊三日で三回つまり毎日食べたし、帰る際には仙台銘菓を両手に抱えた。たぶんどの瞬間を切り取ってもマスクの下でずっと口角が上がっていた気がする。HiHi Jetsのための遠征ができるなんて!

いざ公演に入ったら横浜公演とはところどころ構成が変わっていて、ドラゴンフライとZENSHINが流れるアンコールでスタトロが動いていた。HiHi Jetsがアンコでスタトロに乗って、ご当地のおもしろかわいい被り物をしたメンバーもいて中間地点でトロッコの乗り換えがあって、スタンド席に向かってファンサしているなんて!

夢みたいだ、と何度も思った。夢にまで見たことが次々叶えられていく。本当に、今の彼らの勢いを見逃すわけにはいかないんだな。少し前の優斗くんの言葉をしかと胸に刻んで、今の優斗くんを全身全霊、目で追いかけた。相変わらず手をぱっぱっと動かしてできるタイプのファンサを優斗くん式の視野とスピードでぽこぽこ繰り出しているのがたまらなくかわいかった。アンコール以外でも、ステージの四隅に駆けていってはスタンド席に向けてぶんぶん振っているてのひらもまたかわいかった。挨拶待ちのバクステ、外周での着替えや移動のたびに暗がりで聖母マリアのごとく微笑みを浮かべて近辺の席にサービスしているのを見ては、すごいな、22歳のゆうぴーだな、顔がすごくかわいいな、そういえばここって宮城なのか、すごいなあ、と取り留めのないことばかりが頭に浮かんだ。ちなみにわたしからは聖母の笑み、もしくはふふっといたずらっぽく頬を高くするかわいらしい男の子にしか見えなかったけれど、見る人が見れば、自分が求められていることをじゅうにぶんに理解し薄く笑みを湛える、ちょっと小狡い男性らしさとか、そういうものもあるんだろうか。わたしはわたしが見ている優斗くんのことだけが好きだけど、他の人から見えている他の人が好きな優斗くんにもかなり興味がある。

 

今回のソロを横浜公演で初めて見たとき、また会場の景色とよくシンクロする曲を選んだものだなあと微笑ましくなった。セキスイはバクステ側に座席がないから、横浜とは少し変わってどの座席でも優斗くんの顔を見ることができた。煌々と輝き、それでいてふんわりとした雪のような白い光が会場を埋める中で、明るくかわいらしい冬の曲を、春のにおいのようなあたたかさ優しさを醸し出す優斗くんが高く上がったステージで歌い踊る。雪を被った土壌から草木が萌芽するかのような春の訪れだった。「過ぎてく季節を美しいと思えるこの頃」心当たりがありすぎて思わずぐっと奥歯を噛み締める。わたしは優斗くんとの思い出をおおよそ年ごとに四季で分けた心の引き出しに保管している。嫌いだった季節を優斗くんのおかげで、HiHi Jetsのおかげでちょっとだけ好きになれたこともある。おそらくもう少ししたらこの春の思い出も大切に大切に仕舞って、しばしば取り出しては愛しく思うのだろう。

上手側から下手側に向かってすーっと手で空をなぞりながら、「君がそこにいるからだと知ったのさ」とにこやかに歌う。その動作はまるで「君」はあなただと客席の一人一人に言い聞かせているようで、もしくは「君」に変身する魔法にかけているようで、また優斗くんというアイドルの持つ特性や力をまざまざと見せつけられた。それはそれは致死量のときめきだった。会場にいるたくさんの人間を、あの一瞬、ゆうぴーの「君」に変えて魅せてしまうゆうぴーがだいすきだ。少なくともわたしは、さりげない動作ひとつでゆうぴーにその身を指されるような幻を見る。優しいフィクションにその時ばかりは騙されて、「君」のひとりである何者かのわたしになれる。それができるゆうぴーは悲しいくらいに逃れられないくらいに主人公。同時に、「君」であるわたしもゆうぴーに主人公たらしめられる。そんな優斗くんが好きだ。わたしにとってのアイドルとは、髙橋優斗くんのことだ。

HiHi Jetsの「連れてって君をね」とも、めきゅわんの「君だけを連れて行こう」とも、フロントラインの「俺たちが連れてく」とも当然ながら全く違う雰囲気と表情で、でも差し出す手の力強さと優しさはおんなじに「連れて行ってみせるよ」と、にこにことWISHを歌う優斗くんは美しく在る希望の光明だった。

何回だって言うけれど、わたしはHiHi Jetsが、優斗くんが歌う『連れて行く』系のフレーズが好きだ。だってわたしは実際に連れて来られたんだ。ジャニーズジュニア、もといジャニーズという世界に。優斗くんは挨拶でもそのニュアンスの言葉を使って決意を表明することが増えた。わたしが優斗くんの挨拶でこのワードを意識するようになったのは、2018年クリエの千秋楽からだと記憶している。そしてその言葉の通り、わたしはまたしても優斗くんにまんまと連れて来られて、宮城で優斗くんを見つめていた。けれど、これは勝手にずるずると手を引っ張られ連れ回されているのではなくて、わたしが自分の意思でHiHi Jetsと髙橋優斗くんを消費しようと選択した結果の上にあるということ、言うまでもない無論の事実ではあるが、いつ何時も決して忘れてはいけないと思っている。自分の好きは自分で責任を負う。他の何にも仮託せず依存せず、自分で管理して背負いきる。終わらせる時も自分の中だけでひっそりと。これも2018年、ドリボを観劇した際に心に決めたポリシーだ。差し伸べられるふかふかの手を日々愛おしみながら連れ回されるフリをして、実は自分の足でずんずん好きなとこまで勝手に進んでる。当のワードを聞くたびに、お気持ちだけで結構ですよ、自分で抱えて走るよ、と遠慮ぶった気持ちを浮かばせる裏腹、贈られた決意の一片を抱いて深く愛おしむ。誰も置いていかないって言葉だって、本当に嬉しいんだよ。

 

優斗くんに連れられ向かう世界の中で、一番大切で分かりやすい部分。彼らにとっての核、本質の部分。それがHiHi Jetsがつくるコンサートだ。横浜公演の記録にも書いたが、デビュー組20曲メドレーという大胆で強気なコーナーは今回のコンサートで彼らが伝えたい主題に大きな効果を持たらすものだった。21つ目の唯一無二へと駆け上がる彼らに用意された新曲、『JET』。横浜公演が終了して間もなくライブ映像がYouTubeに上がったので、改めて字幕をつけて視聴して驚いた。JET、つまりジャニーズエンターテイメントチーム。そしてHiHi Jetsとは、はしもといのうえたかはしいがりジャニーズエンターテイメントチームさくま、なんだもんね。名は体を表すし、いがりくんの言うように、直系ともいえる彼らの体には、血には、今後も滞ることなくジャニーイズムが巡り続ける。『JET』は、それをありありと分からされる一曲だった。この曲は振り付けもラップ詞もいがりくんで、それがもはや恒例となっていることもしみじみ凄いし強みであるなと感じる。言葉遊びを純粋に楽しんでいるようないがりくんの無邪気さとHiHi Jetsらしい小憎たらしさを覗かせながら、小洒落た言い回しで信念を、魂を語る強さを含んだリリック。特別長いとは言えないあのラップパートで、これほどまでにHiHi Jetsをふんだんに詰め込んでみせてしまうのだから、いがりくんには本当に頭が上がらない。

特に個人的に刺さったのが歌い出しの「『should you』や『have to』じゃなく『I want you』で動くから期待はなくても十分」のところ。字幕を見て歌詞を認識してハッとさせられた。というのも、リリックの破壊力もさることながら、前の夏に優斗くんが言っていた「応援しなきゃではなく、応援したい!   と思ってもらえるよう」という言葉が浮かんだからだ。当時この挨拶を聞いたときにこの人を応援している自分はとてもラッキーだと思った。アイドルという商品として地に足をつけている感じが伺えるこのスタンスはわたしにとってとても好ましくて、同時に彼らの自立心や覚悟を今一度感じさせられた場面でもあった。そしてなにより、わたしは応援しなきゃではなく、応援したいから優斗くんを応援している。己の選択で彼を消費している。まさに「『should you』や『have to』じゃなく『I want you』」だ。商品と消費者、アイドルとおたくとして、心持ちが綺麗に重なり合うようでどこか嬉しかったのだ。

ただ、優斗くんの『I want you』が自分以外の誰かのために発動がちなのはすこし気になっている。どうしようもなくそういうひとなんだってことは分かっていつつ、もっと自分による自分のための希求に敏感に生きてほしいな、とはひっそり願っている。

そう、『JET』といえば、23日公演と24日夜公演の違いにひどく揺さぶられた。宮城初日に見たときはわりとひーひーしていた。ジュニアコーナーもなく構成も変わり、横浜公演より体力的にきていたのかもしれない。疲れと意地の狭間でゆうぴーが揺れている。もはややけくそみたいに踊って疲労で剥がれかけるアイドルをどうにか保っていた姿がこの上なく好きで見惚れた。疲労による人間部分とそれに抗うアイドルがせめぎ合って戦ってるときのゆうぴーのヘルシーな扇状。DK時代の虚無目への愛に近しいかもしれない。対して夜公演は、このツアーのラスト公演ということもあってか、前日とは別の意味で全てを出し切るような勢いに溢れていて、汗をかき髪を乱し曲に浸りながらも笑みをつくった顔が、恐ろしいくらいに綺麗でかわいかった。ゆうぴーの底知れない強気な笑顔は、グループ名の一部を冠したこの曲にとても合っていた。

 

宮城でおこなった3公演、優斗くんはすべての挨拶で言い方や文脈を変えて、自分達にはまだまだ足りないものがある、現時点ではまったく満足するに及ばないと心奥を話してくれた。優斗くん自身にも、もしかしたらこちら側にも厳しく刺さるような言葉だったけど、それでも彼の言わんとすることはとてもよくわかった。本当に素直で、誠実なアイドルだなあと思った。HiHi Jetsのために遠征して、HiHi Jetsがスタトロに乗って、夢みたいで、けど、全然まだこれだけじゃ終われないよね。少しでも早く目指す場所へ、先人と同じ土俵へ立ちたいと話す優斗くんたちには、もっともっと遠くに大きな夢がある。わたしにも同じくらい先に、優斗くんを透かして見る大きな夢がある。

アンコール前、モニターに流れた映像がとても綺麗で、この先、蜻蛉が色んな場所へ飛び立てますようにと念じた。蜻蛉の向かう先には君がいて、手を差し伸べてくれているんだろう。わたしは自分の足でそこへ向かって自分の意思でその手をとって、また連れて来られちゃったなあと思うんだ。

 

ツアーお疲れ様でした。はやくまた次の輝きの中で会おうね。

じゃ!

愛は屋烏に及ぶ

その愛、横浜、みなとみらいにて。

 

 

わたしの好きなアイドルは神奈川県横浜市の出身だ。横浜に生まれ、ハマっ子を称する髙橋優斗くんは地元愛に溢れている。理想のデートプランについて問われればたちまち聞き慣れた詠唱が始まるし、隙あらば愛する地元球団の話をする。おれは横浜でも少し田舎の方なんだけど、と自分の生まれ育った土地について話してくれる声やテキストが彼らしくて好きだった。自分が自らの出身地にまったくといっていいほど愛着や思い入れがないからこそ、相反する優斗くんがもの珍しく思えて、興味深いというのもある。

前回横浜に足を運んだのは、優斗くんが22歳の誕生日を迎えたとき。ホテルをとってみなとみらいの景色を見ながらケーキを食べるといういかにもおたくらしいことをした。コスモワールドの乗り物がそこそこ怖いことを初めて知った。それ以外はこれといって特別なことはしなかったけれど、よく晴れた横浜の街を、友人とくだらない話題を交わしては大笑いしながら歩いて、大きく空気を吸って、時々思い出したように空を見上げた。ほぼ東京でしていることと変わらないそれだけのことがすごく特別なものに感じられた。一日をかけて、わたしの体の中に搭載されている気がする、幸せを感じて保存しておく器官みたいなところがじわじわとメーターを上げて満たされていくような感覚。優斗くんが育った、優斗くんが好きな街。横浜。

 

時は2022年。3月も中旬。わたしの手元に横浜公演のチケットはなかった。ここにチケット関連の話題を記しておくのは個人的にかなり憚られるけど、今回においてはかなり大きな要素なので書き留めることにする。というのも、チケットがないことも重大な問題だったが、それ以上に問題だったのが、その時期のわたしがチケットを探す気力そのものを持ち合わせていなかったという点だった。いつもなら、チケットがないとなれば必死になってとにかくギリギリまで探してどうにかこうにかなるよう動いて、それでも見つからなかったら諦めるところを、行けないなら行けないで仕方ないのかなあなんて普段の自分ならまず思わないような思考になっていた。自分のことだから、後々、絶対に悔恨の念にかられまくるのは簡単に予測できたけど、どうにも動けない。おたくごととは一切関係なく、ただ日常的な面において致命的なまでに体力やら精神やらが萎びてしまっていたおかげで本当に何もできなかった。やっぱり楽しくおたくをするためにもなるべく健康的に生きたいな。改めて今年の目標は、健康一本勝負。それ以外は何も求めません。

 

そんな中、横浜公演が刻々と迫っていたある日。そういえば最近開いてないや、とブログにアクセスした。伝記をひらくことさえサボっていたから、少し遡って二週分連続で見た。その日は優斗くんの更新日だった。

すこしおどけたように❤️をつけて、自分でつっこんで回収している。ああ、どこまでもかわいいひとだな、このかわいいひとに、横浜で会えないのかあ。そう思いながら一度スクリーンショットをした。他のメンバー分も読みながら、ページの一番上まで辿り着く。定刻より少し遅れて更新したらしい優斗くんの短めの文章が目に入る。

「18.19みなとみらいで待ってます!」

そのときと同一の感覚に再び襲われることは、今後しばらくはないように思う。ぐるぐるぐるぐる、感情だか思考だかもわからないようななにかが巡っている最中、彼のホームタウン横浜のみなとみらいにあるアリーナ会場、そのステージに立つ優斗くんを想像した。それから、涼やかな秋風を吸い込んで見上げた青空を思い出す。なんてことはなく書いたんだろう。うっかりしていて、急いで書かなければいけなくて、ちょうど数日後はライブがあって。優斗くんの中からつるっと出てきた言葉。もちろん本心であり大切な一文だろうけど、あくまでも自然に何気なく打ち込んだ言葉だと推察できる。ただそれが面白いくらいにわたしの心を掴んだというだけ。それだけのことだ。まさに、衝動に駆られるといった言葉が正しいだろうか。公演まであと三日。今までの無気力はなんだったんだといったレベルで意欲が湧いてきて、そこからは必死になって探した。

あとでカメラロールを見返したら、三回分の待ってます!が並んでいた。なぜか同じページを三回スクショしていたみたいだった。

 

人生どうにかこうにかなるもので、本当にありがたいことに18、19日共に公演に入ることができた。せかせかとした様子が伺える優斗くんらしい伝記の何気ない一文。からっとした声が聞こえてくるような文字列。優斗くんがみなとみらいで待ってくれている。他の要素はたったの一つもなくて、それだけにただ突き動かされて、わたしは秋ぶりにみなとみらいに来ていた。天気が雨なのはもう慣れたものだけど、アリーナ規模の会場の席に着くのは未だすこしそわそわとしてしまって慣れない気持ちだった。

 

 

Welcome   ようこそ日本へ

君が今ここにいること

とびきりの運命に   心からありがとう

ほんのすこしでも気を緩めたらその瞬間にぼろぼろ泣いてしまいそうだった。重なり合ったいくつもの偶然が、優斗くんの手によって運命に塗り替えられていく。

気力がしなびていながらも、なんとなくで伝記を開いたあの行動は、この一瞬のためにあったんじゃないか。あのとき生まれた衝動は、決して一時的なテンションや言葉の雰囲気にのまれただけではなくて、すべてわたしがここに来るよう予め用意され仕組まれていたものなんじゃないのか。彼によって、運命によって、手繰られ、導かれていたのではないか。そんな馬鹿なことを考えてしまうくらい、優斗くんはアイドルをしていた。わたしにとっての無上のアイドルだった。

優斗くんはわたしのアイドルだから、わたしは全ての偶然はとびきりの運命なのだと信じこめる。だって優斗くんがそう歌っているんだ。もともと運命は信じる派な優斗くんが。前々からこの曲が好きだと言っていた優斗くんが。ようこそ、と全てを迎え入れ受け止めるみたいな、慈しむみたいな、ふんわりとした中に甲斐性のある笑顔を湛えて、大好きなかわいいかわいい歌声で数ある運命に感謝している。横浜みなとみらい、ぴあアリーナのステージで。わたしはそれを優斗くんの団扇を持って、白く光ったペンライトを握りしめて、客席から見ている。ここに来られて良かった。ここであなたに会えてよかった。強く思った。

こちらこそ、とびきりの運命と髙橋優斗くんに、心からの感謝を。

 

今回のセットリストも手放しに楽めた。HiHi Jetsに抱いている信頼に触れては再三再四そのかたちを大きく自覚する。当たり前に外周があって真ん中には形を変えるセンターステージがあって、ローラーで爆走したり足でも爆走したりしていた。もはやお決まりの電飾ビカビカコーナーもあった。安定した構成とパフォーマンス、客席の一体感に、アリーナ規模でのコンサートはまだ二回目というよりもう二回目という感想の方が強かった。ぎゅっとまとめられた流れで見るソロは相変わらず雰囲気がかぶることなく、彼ららしくて。優斗くんのソロが可愛くて幸せで。てんだらーとれりびーの繋ぎはメドレーを抜いたら一番好きだったなあ。横浜だー!みなとみらいだー!地元ですよー!とテンションが上がったゆうぴーがしょうもないワードを連呼したり、1:4がみるみるうちに4:1になるという、ついさっきまで東京出身を仲間はずれにしていたはずが秒で寝返られ、生粋の横浜市民ひとり取り残されるくだりをしていたので笑った。MCでふざけている姿は相変わらずアイドルというよりかあほな男子たちそのものでつくづく愉快で愛しい。なによりゆうぴーがとても変なテンションになりながら横浜を主張しながらきゃらきゃら笑っていたので、揺れるふやふやの白い頬を見ながらいつもの嬉しさに支配されていた。まだでぃあうーまんにやられる前だから、そこそこ呑気に、でも強い気持ちで、こんなに楽しそうな優斗くんを見に来られて良かったと噛み締めていた。

正直、デビュー組20曲メドレーという大胆なコーナーには度肝を抜かれた。前半にオリ曲やソロ、彼ららしい演出をふんだんに入れ込んでいたのもより効いている。セットリストの一部のいちコーナーとだけでは到底言い収められない、大きな意味を持った枠だった。こんなに上手く意思表示というか、目的、今の5人が追い求める景色、そういったものを伝えながら、多くの衣装やユニット、選び抜かれた選曲で楽しませられるグループになったのかと思うと、本当にすごいところまで来てしまったんだなと良い意味でぞっとした。組み込まれた曲の中には4人時代からのおたくをしてきた者として懐かしく思うものも多かったからその度に感慨深くなったりしたし、彼らのクレバーさに改めて唸らされる時間も多々あった。

そして、コーナーも終盤で、上記の出来事。情緒をぐずぐずにされるハプニング。いやサプライズ?   パーソナル、キャラクターといった方がまだ正しいだろうか。髙橋優斗くんという像に横浜という地。アイドルと観客という結びつき。そしてそこにいる一人一人の背景。ここにいる誰もが、自分の好きなアイドルを見ていて、異なる思想や想いを抱えている。わたしだってその一人だ。わたしはわたしから見えている優斗くんだけが好き。各方面から伸びる糸はあちこちで交わって絡まっていて、それらひとつひとつに運命だと呼びかけるのように歌う優斗くんの微笑みは綺麗で、歌声はあまく優しかった。なにかが救われたような心地。優斗くんって、わたしにとってこんな存在だったっけ。ぴしっとしたフォーマルな衣装はゆうぴーにとても似合っていた。

誰もが納得の一曲でメドレーは締め括られていた。深いリスペクトと同時に若き闘志をこれでもかというほど浴びる。嵐起こす高速。嵐を越す高速。最前線を打ち壊すを銘打ったコンサート、一曲目からここまで、もっといえば最初から最後まで繋がりがあって込められたメッセージがあって、それが小気味良いテンポ感と緩急を持ちながら構成されている。コンサートの度に実感させられる。やっぱりこの人たちの作るコンサートが好きだ。だからこそ、メドレーの直後に『JET』というグループ名の一部を冠した新曲を持ってくる意味も容易に量ることができた。21個目の唯一無二、新世界を作るのは俺たちなんだと。そこへ最速で到達するのだと、彼らの克己心に満ちた精神が雄弁に語られている強気なセトリ組み。正直、公演中は歌詞の聞き取りやモニターでの確認に注力できなかったので、数日後にYouTubeで上がった映像で歌詞を確認して、時間差でさらに打ちのめされた。そして、ラスサビ前で5人が向かい合って手招きし合う振りのところがなんともじぇっつらしい。最前線を打ち壊すためにも、5に拘るのは大前提。わたしはいつかのテキストで、いがりくんの「5に拘る」理由を聞いて安心感と信用を得た。かなりのエゴだけど、これからもそれぞれが自分のために5人で居続けるHiHi Jetsでいてほしい。

駆けるでも、まるいステージでみんなで中心を向いて、各々顔を見合わせて目配せをしながら歌っていたのが印象的だった。その周りを満遍なく散らばった5色の光の海がぐるっと囲んでいて、彼らが踊らないときも自然と振りの動きになる。感動的なその景色は一方ですごく平和でのどやかな空気があった。5に拘るのは大前提で、ことあるごとに、は〜ふ!って楽しげにファンネームを呼んでくれて、みなさんは追い風ですと言ってくれる今の彼ら。そんな彼らとおたくとでこれまで一緒に歩んで築いてきた関係性が、ここで一旦、ひとつ確立したようにあの景色から感じられた。勝手にもね。

 

その駆けるの前にセンターステージで挨拶が行われていた。18日、優斗くんはこうしてこのメンバーに出会えて、ジャニーさんとの出会いだってそうで、色んなお仕事や縁に恵まれたのも運命、奇跡だって思う、といったことを話していた。HiHi Jetsのメンバーであり、いちファンなんだということも。運命。意図的かどうかわからないけど、そのワードにどきっとする。強い力で掴まれた心臓はまだ元の形に戻っていない。優斗くんを追いかけているとこういう現象に立ち会うことが多い。分かってて言っているのか、それとも意識せず発しているのかわからないのだ。わからないから好きで、好きだから余計にわからなくなる。

 

どうしてわたしが優斗くんを応援するのかは今までもこれからも揺るがない。ゆうぴーがかわいいかぎり、わたしはゆうぴーから目を離せない。たくさんのことが変わっていっても絶対に変わらない部分であるし、そこがなくなった瞬間(今は想像もつかないが)、少なくとも今までの優斗担としての自我は保てなくなるだろう。

かわいいから見ていた。かわいくて一生懸命だったから見ていた。かわいくて、少し天然な普通の男の子なのかと思いきや、たまに確信をつくような発言をほろっとこぼすのがへんないきものだなーと思って見ていた。かわいいひとがさらに責任感を身につけて、夢を明確にして、ずんずん進んでいくのが楽しくて見ていた。わたしはいつも優斗くんのかわいさを燃料のベースにして動いてきた。それで受け取るのは、かわいさによる多幸感とか楽しさとか愛おしさとか愉快な気持ちとか、ゆうぴーといういきものを不思議に思う感情とか。悔しさなんかを抱いた日々もある。誇らしさもあれば、夢を重ねて期待で高揚するときもあった。そして今回は、どこか救済を受けたような感情を持ち帰っていた。いつの間にか、優斗くんが与えてくれるもの、かわいさに付随した恩恵。そのあたりはかなり変化してきているのだなあと気づいた。変化というよりは増えたと言うべきかな。

勝手に追いかけたいから追いかけてた。まあ今でもこれからもそのつもりだけど、必死に走っていたら、知らぬ間にわたしの中でゆうぴーってわたしを救ってくれるような存在にまでなっていたらしい。もちろん、日々をアイドルとして生きてくれている事実に救われていることは大きいけど、今回のようなケースははじめてだ。まだあまり言語化できるほど自己理解できていないけど、報われたとはまた違う、自身そのものと、のしかかる無気力を振り切って決行した事実を肯定されたゆえの救い、というのが一番近い気がする。行動できたのも優斗くんのおかげではあるとはいえ、そうしたのは紛れもなくわたし自身だ。あれから、このことを考える度に、あの甲斐性を覗かせるやわらかな微笑みを頭に浮かべる。へろへろの虚無目も良かったけど、その顔もたまらなくかわいいね。この陶酔が止むことは無さそうなので、まだまだどこまでもいけそうだ。

 

二日目、昼は晴れていたのに暗くなった途端に雨粒が地面を叩いた。

雨を弾くアスファルト、しとどに濡れるみなとみらい。どんよりとした気候の中でも変わらず佇む大観覧車はくるくると色を変えている。変わらない土台に、色が増えたり変わったりしていく。ここへ来れて本当に良かった。湿っぽい横浜の空気を吸う。ようこそ日本へ。ようこそ横浜へ。心からの感謝を唱えながら、普段乗らない路線の電車に乗る。数々の偶然の上に運命というラベルを無理やり貼っては連れられるようなフリをして、またすぐここへ来たいなと思った。

五寐思服

優斗くんを好きになってから今日まで、たくさん、とまでは口幅ったくて言えないけど、まあそれなりには色々な場所へ足を運んできた。ジャニーズジュニアどころか、ジャニーズという世界すら目新しかった当時は本当に右も左も分からなくて、はじめて降りる駅、はじめて向かう会場の連続。EXシアターの構造に軽く混乱したこともあったし、有楽町の地下を右往左往したこともある。いつも地図アプリと睨めっこして、大体は人の流れについていくことで最終的に事なきを得ていた。新しい場所に出向くたび、不安と期待を抱えながら知らない道をひとり歩いた。すべては髙橋優斗くんのかわいい顔を見るために。

 

五騎当千。HiHi Jets初のアリーナ規模での公演。会場は代々木第一体育館。まだ一度も足を踏み入れたことのない会場だった。普段、渋谷から原宿まで歩いて移動する際に何気なく視界に映って通り過ぎていただけの景色は、11月20日をもって、またひとつ新たな特別としてわたしの心に刻まれた。

いつもより広々とした空間の中、座席についてみても、そこからステージや外周を見てみても、なんだかうまく実感が湧かなかった。頭がぼおっとしたままで、胸だけが激しく高鳴っている。ちぐはぐな状態のままペンライトをつけて、overtureを見つめた。ポップアップで登場したHiHi Jetsの姿に、やっと動き出した思考が早足で追いついてくる。仰々しいまでのきらびやかさ、まさしくジャニーズらしい衣装に身を包んでいる優斗くん。わたしをここまでいざなってくれた張本人。いつも通り顔が最高にかわいくてうれしくて、その時点でまず、ここへ来ることができてよかったと心の底から思った。単純すぎると笑われるかもしれないけど、わたしの本懐はひとつだから。

公演中は常に優斗くんの顔だけを見ているようなおたくだけど、ただ、何度かタイミングを見計らっては、こっそり会場全体をぐるりと見渡した数瞬があった事実はここに白状しておく。いま、HiHi Jetsがアリーナキャパでコンサートをしているんだと、五色の光の数だけ知らしめさせられる。そこでようやく実感を得たし、やっとここまで来たんだなんて、もはや幾億回煎じられてるであろう文言も煎じざるを得なかった。けど、懐古している暇や余裕はあまりない。HiHi Jetsのコンサートは常に最新の今が駆け抜ける場所だ。

 

公演そのものの楽しさ、満足感はもう言うまでもない。そこへは基本的に全面の信頼を置いている。HiHi Jetsはコンサートをつくるのがうまいし、季節を重ねるたびにうまくなっている。関わってくれるすべてのひとへのホスピタリティを持って、といった旨を優斗くんは言っていた。きっと今後も止まることなく進化していくんだろう。自分たちで考えて動く。好きな男の子が所属する、ジャニーイズムに基づいて板の上で息をするエンターテイメントチームが末恐ろしくもあり、何より楽しみでもあるよ。もちろん、贔屓目で見てしまっているところもなくはないのかもしれないけど、それを差し置いても単純にHiHi Jetsのコンサートはとてもわたし好みなので、恵まれているなあ、といつも感謝してます。

日々進化のHiHi Jetsは、特定の演目や事象ひとつとってもアプデがうまい。大胆だけど細やかで、彼らの向上心と遊び心を感じる。たとえば猪狩くんの手による紹介ラップを筆頭に、各曲の振付がしれっと変わったりすることもしばしばある。そして今回すごく沸かされたアップデートが、ウィークエンダーの歌詞割り変更。歌い出しがみずきさんで、これは!?   と一瞬で息が弾んだ。記憶力にまったくもって自信のない人間ではあるけど、クリエのウィークエンダーが本気で大好きだったからぎりぎり覚えてたらしかった。その次のパートもいがりくんじゃないことで変更が確信づく。優斗くんはどこを歌うんだろう、と落ち着かない。少しおいて、流れる優斗くんの歌声が脳を揺らした。わたしのだいすきな、あまやか、わたあめみたいな歌声がかわいくてかわいくて。何度でも言いたい。優斗くんはとってもかわいい。わたしのかわいいアイドル。「可愛い」って言葉はどうして差異なく使える類語や言い換え言葉がほとんどないんだろう。おかげでわたしは優斗くんに対していつもかわいいばかりしか言えていない。だれがどう決めたのかはまったくもって不明だけど、とにかく、あそこを優斗くんが歌ってくれたことで、ひとりの人間が幸せな心地になれました。ありがとう。

 

それから、優斗くんのソロのはなしがしたい。過去の背景、経験の回収。優斗くんという像を形作る上で重要な概念。なにより彼がとても大切にしている「縁と巡り」についての情緒的感想は一旦置いておくとして、只々、つくづく理想的なアイドルがそこにいたので心と手足ががたがた震えた。クリスマスが刻々と近づく11月の後半。白とゴールドでキラキラな布に身を包んで、周りにはふんわりとした純白を纏った小さなこどもたち。まるで雪みたいな数多の白い光に囲まれて、ふわふわにこにこと、「手を繋いでいよう ポケットに入れていいよ」って、クリスマスソングを歌うアイドルのことがわたしは好きらしい。ソロに限定せずとも、判明している範囲で観測できるゆうぴーの選曲や流れは、生来のセンス、バランス感覚と鋭敏さの豊饒がうかがえる。少し別枠の話にはなるが、ジャニーさんと近しい場所に居たからこその造詣の深さや見方も起因しているのかもしれない。これまでのソロも殆どが曲にアイドル髙橋優斗をうまく嵌め込んでいて、ある種の見やすさ、とっつきやすさがあった。どの仕事や生活においても度々省察に励んでいる印象があるから、それも自己プロデュースの高さに繋がっているんだろうか。クリスマスというたのしくてロマンチックなシーズンがモチーフの曲を、朗らかに、甘く歌って踊る優斗くんとその周りの景色が筆舌に尽くし難いほどにかわいくて幸せで、髙橋優斗くんのする、髙橋優斗くんというアイドルがやっぱり苦しいくらい大好きだと思った。あれはあまりにもわたしの好きなアイドルすぎた。優斗くんのおたくをしているうち、この感情に何回ぶつかればいいんだろう。

ほんとうは、ばつぐんに寒がりなのにね。いいじゃないっすか。イルミネーション見ちゃえばいいじゃないですか、なんて投げやりな語調で書くような男の子なのにね。そんなノンフィクションも、もちろん愛しい。そういう優斗くんの素に限りなく近いところにあるようなかわいさがステージで歌われるフィクションと寄り添って、混じって、一体となったとき、かわいい男の子はたちまちにかわいいアイドルへ変身する。フレジュたちとかわいいポーズをとる22歳になりたてほやほやのゆうぴーはすっかりお兄さんで、ぴっと立てた両手の人差し指を控えめに頬に添えていたのが、またかわいかった。

フレジュといえば、フレジュコーナーのセトリやコーナー前の丁寧な振り、それらの節々から当時の彼らや環境を回顧してしまって無性にぐっときた。彼らはもうこどもじゃない。アリーナにメインで立って、バックにこどもたちをつけるお兄さんたちなんだなあ。バックについてくれたジュニアへ対する彼らのホスピタリティを想いつつ、かわいいこどもたちを眺めていた。

 

現場で優斗くんを追いかけているうち、いつからか気づいたこと。優斗くんは、よく笑う。それは何かが面白くて爆笑するとか、人当たりの良さに付随しているにこやかさの笑いではなくて、ステージの上、それまで真剣な表情や必死な顔をしていたところに突然、ふわっと浮き出る小さな笑み。息が切れていても、一般的に見て然るべきシーンではなくても。ときたま観測されるそれは、どうしてもパフォーマンスとしての表情づくりだけの意味合いとは捉えられないときがあって、いま、どういう感情で笑っているんだろう。いま、どうしてその白い頬を緩めてたんですか?  って気持ちでいっぱいになる。前までは、ああたぶんいま楽しくなってるんだろうなってなんとなく推測していたけど、最近はもうめっきりわからないことを受け入れて、ただぼんやり見ていることがほとんどだ。

わからないならわからないなりに勝手に消費者として受け取らせてもらうとして、この公演中の優斗くんのふしぎな笑みから見受けられたのは、強気さとか、自信とか、そういった類のものだった。特に強く印象に残っているのが、MFTPのソロパート。底知れなさ、掴めなさ、一見わかりやすいパッケージに包まれた謎すぎるいきもの、それがゆうぴー。「一度の青春 負けられない」、強いパンチラインと優斗くんの像とがリンクする。ノンフィクションとフィクション同士が、限りなく近いかたちをしているようだった。伝統を息づかせるパフォーマンス。メインステージの真ん中で、気概と自信を含むような表情の優斗くんがふ、と笑んでいた。

優斗くんって、自分のことがふんわり好きでふんわり好きじゃない。そういう印象。現在進行形で、経験に裏付けられた自信が少しずつ培われている最中なのかもしれないけど、どちらかといえばそれは矜持と呼ぶ方が正しいように思う。あの優斗くんの勝ち気な笑顔および面持ちは、個人で抱く自信というより、HiHi Jetsという集団に対してのものなんだろうな。ハイハイ5人のファンって言ってもらえるのが本当に嬉しいってよく話している。さみしくて、やっぱり嬉しい。落ち着ける場所ができたこと。帰る場所ができたこと。彼らが同じ目的のために戦える仲間になれたこと。HiHi Jetsに勝算を見出していること。いつも勝手なこと言ってるおたくだけど、本当に、ちゃんと嬉しいんだよ。何気ない瞬間の5人を見て、不意にしみじみと喜びを噛み締めちゃうくらいには。

猪狩くんから言わせれば、ゆうぴーはHiHi Jetsの「中心」らしい。いち早くメインステージの高いところに登って、あとから到着する4人ひとりひとりとハイタッチする優斗くん。“結局みんな優斗を信じていて、優斗もみんなを信じてる”。良いグループになったね。本当にさ。

 

誰にも奪えない。誰にも縛れない。

実際、縛られていた、って言い方は軽く齟齬を生むかもしれないけど、早すぎる抜擢の裏にある期待と大きなプレッシャーがゆうぴーの背中を圧していた日々は事実としてあって、その時代のゆうぴーは、元気で楽しい庶民的な男の子の風体の裏で、なんだかある日急に忽然と消えてしまいそうな雰囲気をわたしに感じさせていた。風貌も相まって、可憐で儚くて、どこか危うい。いつも、つらかったこと、悩んでいたことはかなりの後出しなひとだから、複雑な答え合わせも度々した。

炎の特攻、ギラギラとした照明を浴びてそのフレーズを歌う姿は闘志と気概に溢れていた。かつて、心のどこかでローラーを脱いでしまってもいいのになと思っていた自分が、今ではローラーで縦横無尽にステージを駆けて踊っては回る優斗くんをなにより夢中で追っている。誰にも縛れないし誰にも奪えない。優斗くんの成長も行く道も、誰も阻むことはできない。

これはなんとはなしの独白。当時の優斗くんの危うさ、急にどこかへ行ってしまいそうなところ、怖くて、同時になんだかとてもすきだった。あまり大きな声では言えないけど、自分を嫌悪しがちな部分がうっすらと存在しているところもどこか好ましく思っていた。幸せに、健やかにいてほしい想いに嘘はないのに。このジレンマは今もひっそりと抱え続けている。

 

変わらないもの。変わるもの。4人時代、選曲の理由をおしゃべりで発信していたとき、5人になったとき、伝説になると改めて表明したとき、最速で、と宣言したとき。大切に言葉を選んでいる瞬間の表情や声色に滲む誠実さと強さ。そこに両立する優斗くんらしいまろやかさ。訥々とした喋り方。いろんなものを残しながら、優斗くんは確かに大人になっていく。

挨拶に入る二曲前、completeを歌っていた。5人での披露がかなわないでいた曲たちはこの代々木で完全になくなった。加えて優斗くんの挨拶が決め手となって、わたしの中に残る2年前の残滓は遂にすべて消え去った。

ラストの公演の挨拶で珍しく自分の話をしていた。HiHi Jetsの彼ではなく、髙橋優斗くん個人の話を。この場所でこの5人でやっていきたい。強く語られる表明、切なる表情に、思わず彼の夢を自分に保存しそうになってしまって焦った。自分の中に、髙橋優斗(2)はつくるわけにはいかないから。優斗くんのおたくとして、わたしにはわたしの自分本位な夢があるのでそこを一体化してしまっては自分が困ってしまうし、そもそも仮託することがなんとなくいやなのだ。つまらない意地みたいなものだけど。

 

密度も熱量もすごかった挨拶のあと、しっとりとした口調で振られた本編ラストの曲がHiHi Jetsだったのが、まさにHiHi Jetsのファーストアリーナコンサートでかなり興奮した。今思い返しても、すごくよかった。彼らが言う。伝説はまだまだはじまったばかり、ここは通過点だと。それなら、はじまりの曲じゃないとね。HiHi Jetsのコンサートがだいすきだ。

 

最前線をぶち壊して、新世界へ、俺たちが連れてくと伝統を抱えて道なき道を切り開いていく彼らの姿。知らない道をドキドキしながら歩いていたときみたいに、これからもわたしは不安と期待とともに、新しい場所へと連れていってくれる優斗くんのところへ向かう。すべては夢を叶える髙橋優斗くんのかわいい笑顔を見るために。

夢を見る優斗くんに、わたしは夢を見る。そうして、同じ夢へと合流する。

 

HiHi Jetsの全国ツアーも、デビューも、朝の番組に出ることも、新国立競技場もビルボードノーベル賞も伝説になることも。優斗くんの夢が、ぜーんぶ叶いますように!

手のひらに星空

21歳の自担を前に、顔の次に注視していたのは手かもしれない。年齢にかこつけて二組ずつに並べた写真たちを見てそう思った。当然、年代によって顔つきは少しずつ違うけど、全ての写真に写ったピースサインとどうも所在なく浮きがちな小指は写真の彼らが同一人物なことを物語っていて、なんとも優斗くんらしくてかわいい。

11月15日。今年もさわやかな快晴。

 


普遍的でなんてことない仕草やポーズも、好きなアイドルがするというだけで大きな意味や根拠になり得る。これは、ステージの上で行われる仕草やうごきを契機に、自分の中に言い表せないほどの衝撃と感情が生まれてしまう体験が実際に度々あったからこそ、確信を持って言えることだ。

好きになった当時から既に不思議な訴求力と魅力を宿していた優斗くんの手はたびたび象徴的にうごく。たとえばピースやサムズアップ、指差し、お手振り。手招きだったり頬をとんとんとしてみたり、時に首まわりを撫でてみたり、あとは衣装を揺らしたり服をはだけたり他にもいろいろ。

錠前はたくさんあって、複合的なのかもしれないしそうではないかもしれない。とにかく、優斗くんのうごきがその場でなにかしらにばちっと気持ちよくはまって、どこかが拓けたり開けたりする。ただの手振りひとつがわたしの世界をたちまち変える瞬間。それを21歳の優斗くんには特に意識させられることが多かった。

かつて幾度となくボールを受け止めてきたという手。今はマイクを握っている手。自分の、仲間の、もはや誰のものかも分からないような匿名の夢や期待を抱えて、途次、取りこぼしてももう持っていけなくてもその事実さえ飲み込んで受け止めて進み続けている姿に何度も驚かされる。世界を変える手は決して万能ではないけど、あの子に「歴史をその手で大変更」「明日と未来は手の中」って言わせるくらいまでは来たらしい。

凛とした瞳を大好きなあまい笑顔で包んで、どこか強気にかつ楽しげに、「君だけを連れて行こう」と歌う21歳の優斗くんが大好きだった。真っ直ぐ指す共通の振り付けがある1サビのあと、ラスサビで差し伸べるように前に出された手がやけに印象に残っている。公演中の視野があまりにも狭すぎるからたまに優斗くんの固有モーションなのか共通の振りなのか分からなくなる時があるけど、あそこはフリーなはず。たぶん。

萌え袖ぎみの衣装から伸びる手のひらに胸が鳴る。積もった好きを新しい好きで塗り替えられる期待に染まる時点で優斗くんの手管にはまっている気がするから、あとすることといえばもうこちらから手を伸ばすだけだ。

万能ではない。それでも、優斗くんの手には絶対的で特別な力がある。優斗くんがナンバーワンを象ればきっとそうなるし、優斗くんが未来を差すならそこはきっと明るい。そう思える。馬鹿正直に信じているから、何度でもその手を取ってしまう。「君」は私なんだって錯覚にするっと陥られる。優斗くんのそういうところに、かなり助けられているよ。

そうやって誰かの何者かになれちゃうひとが、ほんとうは何者なのかと探究心が芽生えることもたまにあるけど、やっぱり、いつまでも全てを知らないままでいたい。結局は本質なんてなんにも知らずにいたくて、けどその本質こそ幸せじゃないと意味がないと思うのもちゃんと本音。見えない見せないは要らないとイコールではないし、なんだかんだで質量保存な気がしているのは対象が優斗くんだからこそ感じるものかもしれない。消費者として、どういう形であろうとも本人が幸せでさえいてくれたらいい、なんてことはきっと一生思えないオタクだけど、それはそれとして年々ブラインドの向こう側のひとがとても愛おしく、暖かく感じるようになっている。

 

はじめての単独で「どこまでも皆さんを連れていく自信しかない」って言い切ったこと、そのときの表情、ずっと忘れられずにいる。「君」に差し出される手をなるべく掴んでいるから、いつか夢の先までも連れていってね。

 

寄せられる想いたちを、何倍もの眩さにして打ち返せる。どんな場所にいても輝ける。北斗七星の名を冠した、優しくて優れた眩い男の子。みんなの、そしてわたしのアイドル。みんなの、つまりわたしのスーパーヒーロー。生まれてきてくれてありがとう。

お誕生日おめでとうございました。

紅茶のシフォンケーキとアイスティー、単四電池

会えなかった日々を埋めるみたいにしっくりきて、はじめましてくらい強烈な衝撃。幾度となく通い見慣れたステージよりも広々としているはずなのに、それでも今の彼らが滑り、歌い踊るにはやけに狭く感じた。
確かめるような心づもりがどこかであった。有観客での単独コンサートは二年ぶりで、優斗くんに、HiHi Jetsというかたちに久しぶりに触れることであの日の続きから優斗くんのファンとしてのデータをロードしようとしていた。会えない期間も好きだったし変わらず日々の助けや支えになってくれていたけど、直接、自分の目で見たいものを見たいだけ見られないっていうのはわたしにとって大きな影響が各方面にあったらしく、ねじれたりくずれたり、誰のせいでもなく、前より歪になった気がしていた。

けど、結果的に確認は必要なかったし、古い髙橋優斗担のデータをロードしてる途中で新しい感情とときめきが怒涛に湧いてきたのでうまくいかなくてすぐ諦めた。普段交わることの決してない優斗くんとわたしの並行世界が、交差せずともひとつの軸だけ同じになって、ある角度から見たら一直線になるみたいな感覚。考えるより先に、現場だ!って脳と体が理解する。優斗くんの言葉と言葉以外の全部を受け取ることにいっぱいいっぱいで何も考えられなかったし、好きすぎる顔にあてられて自ら放棄したのもある。いつものやつ。賢しらな思念とか感情がカタルシスと一緒にぶち壊されて弾け飛んで、更地にまた一から解釈や感情を再構築する作業にも慣れてきている自分がいたのがなんだか笑えた。HiHi Jetsのコンサートは本当に楽しい。


人が無謀とも言える夢をみているのを見る、という愉悦がある。わたしがアイドルを摂りたくなる理由のひとつ。夢を見せる職業のひとたちが深く夢にとりこまれて魅せられていて、そんな夢と夢との結び目を目撃するたびにその美しさと残酷さにときめく。

「夢中」の欠乏からはじまって、よすがを得て、優斗くんは今日も舞台の上に立っている。夢中って夢の中って書くけど、優斗くんは夢の中に居続けるためにこそ必死に現実を生きなきゃいけないひとだ。職業アイドルのひと。夢中が尽きたらすぐ次に打ち込めるものを求められるマインドそのものが天賦の才とすら思う。人間力が包んでいた種の萌芽が夢中を求める側から夢中を与える側にさせて、今、収まるべくして収まったような顔でアイドルしているのが改めて不思議で凄くて少し怖くて、ペンライトを強く握った。「野球より熱中できるものに出会った」って言い切ったんだったっけね、たしか二年前の夏に。二年前、ステージにしがみつく姿勢も誠意も覚悟もはじめて恐れた未知も、ぜんぶ飲み込んで一から好きになったのは今となっても何も間違ってなかったな。一度バラバラにして、再構築。今となってはもう慣れてきた作業。あいずはわたしにとっても特別な曲だから、彼らの名刺にも宝物にもなる素敵なMVが生まれて嬉しかったなあ。


歴史を大変更するその手でナンバーワンを象りながら世界の中心で高らかに笑んでたらきめんの優斗くん。それと同じ場所で、もみくちゃになってころころ転がるHiHi Jetsの一部としてふにゃふにゃふざけてあどけなく笑っていたりあらぶの優斗くん。公演中、絆されてまたばかみたいに永遠を願いながらも、頭の隅を掠めるのは初日の挨拶だった。
彼らが数年間かけて築き上げてきたHiHi Jetsにとっての5人、5人にとってのHiHi Jetsは、かつて優斗くんの言った「それぞれの幸せ」が現時点でかなり統一しきっているようにおもう。少なからず共有部分は確実に発言当時より拡大している。言い続けてきた「ずっと」、「永遠に」な想いや認識を彼ら自身とこちらが獲得していく段階は今や充分と言ってよくて、もうとっくに叶えるためのフェーズに入っているんだろう。優斗くんの声が、目が、そう言っているように見えたし、こちらによく理解させるために伝えているようにも聞こえた。初日と千秋楽、普段よりも訥々と、慎重に選んだ言葉で大胆な宣言をする優斗くんのおしゃべりは優斗くんのものじゃなくて、5人のものだった。


毎公演、全員の挨拶で想いを結び直す作業があった。今のおれたちがどこを向いてなんのために歩いていくのか、その答えはこれなんだよって、精一杯こちらへ真摯に向き合って、ときには弱いところをも見せながら伝えてくれた。5人の結びつきと、商品としての堅い矜持の上に成り立つ彼らと観客という消費者との繋がりとが、本懐を遂げるためへの道筋になって辿られる。


主人公の優斗くんにわたしはしばしば主役たらしめられる。猪狩くんの言葉を借りるなら、多様化した幸せの選択肢がごろごろ転がってるこの世の中で、わたしの人生の主役であるわたしは優斗くんのいるHiHi Jetsを自分の意思で選び続ける。たまに切なくなることも苦しくなることもあるかもしれないけれど、わたしはわたしの消費の仕方で優斗くんとHiHi Jetsで幸せになりたいし、きっとこれからも優斗くんのいるHiHi Jetsに夢を見る。それこそ夢中になってまで。むかつくくらいかわいくて悔しいくらいかっこいい優斗くんをおもいおもいに観察するだけの趣味を色んな言葉や行動に換えて、ずっと楽しく遊んでいたい。自分自身、変わることが苦手な性質のくせに、変わり続けるところに惚れ込んでいるから難儀だけど、運の良いことに好きな男の子のいる場所は世界の中心で、HiHi Jetsだからたぶんもうしばらくは大丈夫な気がしている。
湧き上がる手放しの信仰心にも争って、人の子である優斗くんに最上級の敬意と愛情を持って、消費者らしく取捨選択しながら、MCするときのマイクの持ち方とか笑ったときにいくつか叩く手の破裂音とか、語ってるときのちょっとへんな姿勢の手とか、ソロでFORMをするアイドル観とか宇宙一だいすきな顔とか、0番に立つ彼の意思の灯った視線に心臓がうたれる感覚とか、当事者と代弁者を併せている姿にすこし悪くなる居心地とか、そういう自分の好きに背信することなくずーっと純粋に、すこやかに、のんびりと熱烈に、好きでいられたらいいな。いいよね。

今年も楽しくて特別な夏をありがとう。

 
ひさしぶりに何日間もペンライトを振って、やっぱり白って電池消費が激しいなあと思った。何度も何度も単四電池を入れ替える。何度も何度も振りたいから。有限性と、それに抗う無謀な夢。ころころ変わるメンバーカラーもなんだかんだでいつもすぐしっくりくるみたいに。しっくりこないことだっていつもみたいに顔で許すから、たのしく、たまに夢の中で手を振り合って、お互い明日もがんばりましょ!

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