優しい閃光

背番号2番、立ち位置は0番。わたしのいちばん

五寐思服

優斗くんを好きになってから今日まで、たくさん、とまでは口幅ったくて言えないけど、まあそれなりには色々な場所へ足を運んできた。ジャニーズジュニアどころか、ジャニーズという世界すら目新しかった当時は本当に右も左も分からなくて、はじめて降りる駅、はじめて向かう会場の連続。EXシアターの構造に軽く混乱したこともあったし、有楽町の地下を右往左往したこともある。いつも地図アプリと睨めっこして、大体は人の流れについていくことで最終的に事なきを得ていた。新しい場所に出向くたび、不安と期待を抱えながら知らない道をひとり歩いた。すべては髙橋優斗くんのかわいい顔を見るために。

 

五騎当千。HiHi Jets初のアリーナ規模での公演。会場は代々木第一体育館。まだ一度も足を踏み入れたことのない会場だった。普段、渋谷から原宿まで歩いて移動する際に何気なく視界に映って通り過ぎていただけの景色は、11月20日をもって、またひとつ新たな特別としてわたしの心に刻まれた。

いつもより広々とした空間の中、座席についてみても、そこからステージや外周を見てみても、なんだかうまく実感が湧かなかった。頭がぼおっとしたままで、胸だけが激しく高鳴っている。ちぐはぐな状態のままペンライトをつけて、overtureを見つめた。ポップアップで登場したHiHi Jetsの姿に、やっと動き出した思考が早足で追いついてくる。仰々しいまでのきらびやかさ、まさしくジャニーズらしい衣装に身を包んでいる優斗くん。わたしをここまでいざなってくれた張本人。いつも通り顔が最高にかわいくてうれしくて、その時点でまず、ここへ来ることができてよかったと心の底から思った。単純すぎると笑われるかもしれないけど、わたしの本懐はひとつだから。

公演中は常に優斗くんの顔だけを見ているようなおたくだけど、ただ、何度かタイミングを見計らっては、こっそり会場全体をぐるりと見渡した数瞬があった事実はここに白状しておく。いま、HiHi Jetsがアリーナキャパでコンサートをしているんだと、五色の光の数だけ知らしめさせられる。そこでようやく実感を得たし、やっとここまで来たんだなんて、もはや幾億回煎じられてるであろう文言も煎じざるを得なかった。けど、懐古している暇や余裕はあまりない。HiHi Jetsのコンサートは常に最新の今が駆け抜ける場所だ。

 

公演そのものの楽しさ、満足感はもう言うまでもない。そこへは基本的に全面の信頼を置いている。HiHi Jetsはコンサートをつくるのがうまいし、季節を重ねるたびにうまくなっている。関わってくれるすべてのひとへのホスピタリティを持って、といった旨を優斗くんは言っていた。きっと今後も止まることなく進化していくんだろう。自分たちで考えて動く。好きな男の子が所属する、ジャニーイズムに基づいて板の上で息をするエンターテイメントチームが末恐ろしくもあり、何より楽しみでもあるよ。もちろん、贔屓目で見てしまっているところもなくはないのかもしれないけど、それを差し置いても単純にHiHi Jetsのコンサートはとてもわたし好みなので、恵まれているなあ、といつも感謝してます。

日々進化のHiHi Jetsは、特定の演目や事象ひとつとってもアプデがうまい。大胆だけど細やかで、彼らの向上心と遊び心を感じる。たとえば猪狩くんの手による紹介ラップを筆頭に、各曲の振付がしれっと変わったりすることもしばしばある。そして今回すごく沸かされたアップデートが、ウィークエンダーの歌詞割り変更。歌い出しがみずきさんで、これは!?   と一瞬で息が弾んだ。記憶力にまったくもって自信のない人間ではあるけど、クリエのウィークエンダーが本気で大好きだったからぎりぎり覚えてたらしかった。その次のパートもいがりくんじゃないことで変更が確信づく。優斗くんはどこを歌うんだろう、と落ち着かない。少しおいて、流れる優斗くんの歌声が脳を揺らした。わたしのだいすきな、あまやか、わたあめみたいな歌声がかわいくてかわいくて。何度でも言いたい。優斗くんはとってもかわいい。わたしのかわいいアイドル。「可愛い」って言葉はどうして差異なく使える類語や言い換え言葉がほとんどないんだろう。おかげでわたしは優斗くんに対していつもかわいいばかりしか言えていない。だれがどう決めたのかはまったくもって不明だけど、とにかく、あそこを優斗くんが歌ってくれたことで、ひとりの人間が幸せな心地になれました。ありがとう。

 

それから、優斗くんのソロのはなしがしたい。過去の背景、経験の回収。優斗くんという像を形作る上で重要な概念。なにより彼がとても大切にしている「縁と巡り」についての情緒的感想は一旦置いておくとして、只々、つくづく理想的なアイドルがそこにいたので心と手足ががたがた震えた。クリスマスが刻々と近づく11月の後半。白とゴールドでキラキラな布に身を包んで、周りにはふんわりとした純白を纏った小さなこどもたち。まるで雪みたいな数多の白い光に囲まれて、ふわふわにこにこと、「手を繋いでいよう ポケットに入れていいよ」って、クリスマスソングを歌うアイドルのことがわたしは好きらしい。ソロに限定せずとも、判明している範囲で観測できるゆうぴーの選曲や流れは、生来のセンス、バランス感覚と鋭敏さの豊饒がうかがえる。少し別枠の話にはなるが、ジャニーさんと近しい場所に居たからこその造詣の深さや見方も起因しているのかもしれない。これまでのソロも殆どが曲にアイドル髙橋優斗をうまく嵌め込んでいて、ある種の見やすさ、とっつきやすさがあった。どの仕事や生活においても度々省察に励んでいる印象があるから、それも自己プロデュースの高さに繋がっているんだろうか。クリスマスというたのしくてロマンチックなシーズンがモチーフの曲を、朗らかに、甘く歌って踊る優斗くんとその周りの景色が筆舌に尽くし難いほどにかわいくて幸せで、髙橋優斗くんのする、髙橋優斗くんというアイドルがやっぱり苦しいくらい大好きだと思った。あれはあまりにもわたしの好きなアイドルすぎた。優斗くんのおたくをしているうち、この感情に何回ぶつかればいいんだろう。

ほんとうは、ばつぐんに寒がりなのにね。いいじゃないっすか。イルミネーション見ちゃえばいいじゃないですか、なんて投げやりな語調で書くような男の子なのにね。そんなノンフィクションも、もちろん愛しい。そういう優斗くんの素に限りなく近いところにあるようなかわいさがステージで歌われるフィクションと寄り添って、混じって、一体となったとき、かわいい男の子はたちまちにかわいいアイドルへ変身する。フレジュたちとかわいいポーズをとる22歳になりたてほやほやのゆうぴーはすっかりお兄さんで、ぴっと立てた両手の人差し指を控えめに頬に添えていたのが、またかわいかった。

フレジュといえば、フレジュコーナーのセトリやコーナー前の丁寧な振り、それらの節々から当時の彼らや環境を回顧してしまって無性にぐっときた。彼らはもうこどもじゃない。アリーナにメインで立って、バックにこどもたちをつけるお兄さんたちなんだなあ。バックについてくれたジュニアへ対する彼らのホスピタリティを想いつつ、かわいいこどもたちを眺めていた。

 

現場で優斗くんを追いかけているうち、いつからか気づいたこと。優斗くんは、よく笑う。それは何かが面白くて爆笑するとか、人当たりの良さに付随しているにこやかさの笑いではなくて、ステージの上、それまで真剣な表情や必死な顔をしていたところに突然、ふわっと浮き出る小さな笑み。息が切れていても、一般的に見て然るべきシーンではなくても。ときたま観測されるそれは、どうしてもパフォーマンスとしての表情づくりだけの意味合いとは捉えられないときがあって、いま、どういう感情で笑っているんだろう。いま、どうしてその白い頬を緩めてたんですか?  って気持ちでいっぱいになる。前までは、ああたぶんいま楽しくなってるんだろうなってなんとなく推測していたけど、最近はもうめっきりわからないことを受け入れて、ただぼんやり見ていることがほとんどだ。

わからないならわからないなりに勝手に消費者として受け取らせてもらうとして、この公演中の優斗くんのふしぎな笑みから見受けられたのは、強気さとか、自信とか、そういった類のものだった。特に強く印象に残っているのが、MFTPのソロパート。底知れなさ、掴めなさ、一見わかりやすいパッケージに包まれた謎すぎるいきもの、それがゆうぴー。「一度の青春 負けられない」、強いパンチラインと優斗くんの像とがリンクする。ノンフィクションとフィクション同士が、限りなく近いかたちをしているようだった。伝統を息づかせるパフォーマンス。メインステージの真ん中で、気概と自信を含むような表情の優斗くんがふ、と笑んでいた。

優斗くんって、自分のことがふんわり好きでふんわり好きじゃない。そういう印象。現在進行形で、経験に裏付けられた自信が少しずつ培われている最中なのかもしれないけど、どちらかといえばそれは矜持と呼ぶ方が正しいように思う。あの優斗くんの勝ち気な笑顔および面持ちは、個人で抱く自信というより、HiHi Jetsという集団に対してのものなんだろうな。ハイハイ5人のファンって言ってもらえるのが本当に嬉しいってよく話している。さみしくて、やっぱり嬉しい。落ち着ける場所ができたこと。帰る場所ができたこと。彼らが同じ目的のために戦える仲間になれたこと。HiHi Jetsに勝算を見出していること。いつも勝手なこと言ってるおたくだけど、本当に、ちゃんと嬉しいんだよ。何気ない瞬間の5人を見て、不意にしみじみと喜びを噛み締めちゃうくらいには。

猪狩くんから言わせれば、ゆうぴーはHiHi Jetsの「中心」らしい。いち早くメインステージの高いところに登って、あとから到着する4人ひとりひとりとハイタッチする優斗くん。“結局みんな優斗を信じていて、優斗もみんなを信じてる”。良いグループになったね。本当にさ。

 

誰にも奪えない。誰にも縛れない。

実際、縛られていた、って言い方は軽く齟齬を生むかもしれないけど、早すぎる抜擢の裏にある期待と大きなプレッシャーがゆうぴーの背中を圧していた日々は事実としてあって、その時代のゆうぴーは、元気で楽しい庶民的な男の子の風体の裏で、なんだかある日急に忽然と消えてしまいそうな雰囲気をわたしに感じさせていた。風貌も相まって、可憐で儚くて、どこか危うい。いつも、つらかったこと、悩んでいたことはかなりの後出しなひとだから、複雑な答え合わせも度々した。

炎の特攻、ギラギラとした照明を浴びてそのフレーズを歌う姿は闘志と気概に溢れていた。かつて、心のどこかでローラーを脱いでしまってもいいのになと思っていた自分が、今ではローラーで縦横無尽にステージを駆けて踊っては回る優斗くんをなにより夢中で追っている。誰にも縛れないし誰にも奪えない。優斗くんの成長も行く道も、誰も阻むことはできない。

これはなんとはなしの独白。当時の優斗くんの危うさ、急にどこかへ行ってしまいそうなところ、怖くて、同時になんだかとてもすきだった。あまり大きな声では言えないけど、自分を嫌悪しがちな部分がうっすらと存在しているところもどこか好ましく思っていた。幸せに、健やかにいてほしい想いに嘘はないのに。このジレンマは今もひっそりと抱え続けている。

 

変わらないもの。変わるもの。4人時代、選曲の理由をおしゃべりで発信していたとき、5人になったとき、伝説になると改めて表明したとき、最速で、と宣言したとき。大切に言葉を選んでいる瞬間の表情や声色に滲む誠実さと強さ。そこに両立する優斗くんらしいまろやかさ。訥々とした喋り方。いろんなものを残しながら、優斗くんは確かに大人になっていく。

挨拶に入る二曲前、completeを歌っていた。5人での披露がかなわないでいた曲たちはこの代々木で完全になくなった。加えて優斗くんの挨拶が決め手となって、わたしの中に残る2年前の残滓は遂にすべて消え去った。

ラストの公演の挨拶で珍しく自分の話をしていた。HiHi Jetsの彼ではなく、髙橋優斗くん個人の話を。この場所でこの5人でやっていきたい。強く語られる表明、切なる表情に、思わず彼の夢を自分に保存しそうになってしまって焦った。自分の中に、髙橋優斗(2)はつくるわけにはいかないから。優斗くんのおたくとして、わたしにはわたしの自分本位な夢があるのでそこを一体化してしまっては自分が困ってしまうし、そもそも仮託することがなんとなくいやなのだ。つまらない意地みたいなものだけど。

 

密度も熱量もすごかった挨拶のあと、しっとりとした口調で振られた本編ラストの曲がHiHi Jetsだったのが、まさにHiHi Jetsのファーストアリーナコンサートでかなり興奮した。今思い返しても、すごくよかった。彼らが言う。伝説はまだまだはじまったばかり、ここは通過点だと。それなら、はじまりの曲じゃないとね。HiHi Jetsのコンサートがだいすきだ。

 

最前線をぶち壊して、新世界へ、俺たちが連れてくと伝統を抱えて道なき道を切り開いていく彼らの姿。知らない道をドキドキしながら歩いていたときみたいに、これからもわたしは不安と期待とともに、新しい場所へと連れていってくれる優斗くんのところへ向かう。すべては夢を叶える髙橋優斗くんのかわいい笑顔を見るために。

夢を見る優斗くんに、わたしは夢を見る。そうして、同じ夢へと合流する。

 

HiHi Jetsの全国ツアーも、デビューも、朝の番組に出ることも、新国立競技場もビルボードノーベル賞も伝説になることも。優斗くんの夢が、ぜーんぶ叶いますように!