優しい閃光

背番号2番、立ち位置は0番。わたしのいちばん

手のひらに星空

21歳の自担を前に、顔の次に注視していたのは手かもしれない。年齢にかこつけて二組ずつに並べた写真たちを見てそう思った。当然、年代によって顔つきは少しずつ違うけど、全ての写真に写ったピースサインとどうも所在なく浮きがちな小指は写真の彼らが同一人物なことを物語っていて、なんとも優斗くんらしくてかわいい。

11月15日。今年もさわやかな快晴。

 


普遍的でなんてことない仕草やポーズも、好きなアイドルがするというだけで大きな意味や根拠になり得る。これは、ステージの上で行われる仕草やうごきを契機に、自分の中に言い表せないほどの衝撃と感情が生まれてしまう体験が実際に度々あったからこそ、確信を持って言えることだ。

好きになった当時から既に不思議な訴求力と魅力を宿していた優斗くんの手はたびたび象徴的にうごく。たとえばピースやサムズアップ、指差し、お手振り。手招きだったり頬をとんとんとしてみたり、時に首まわりを撫でてみたり、あとは衣装を揺らしたり服をはだけたり他にもいろいろ。

錠前はたくさんあって、複合的なのかもしれないしそうではないかもしれない。とにかく、優斗くんのうごきがその場でなにかしらにばちっと気持ちよくはまって、どこかが拓けたり開けたりする。ただの手振りひとつがわたしの世界をたちまち変える瞬間。それを21歳の優斗くんには特に意識させられることが多かった。

かつて幾度となくボールを受け止めてきたという手。今はマイクを握っている手。自分の、仲間の、もはや誰のものかも分からないような匿名の夢や期待を抱えて、途次、取りこぼしてももう持っていけなくてもその事実さえ飲み込んで受け止めて進み続けている姿に何度も驚かされる。世界を変える手は決して万能ではないけど、あの子に「歴史をその手で大変更」「明日と未来は手の中」って言わせるくらいまでは来たらしい。

凛とした瞳を大好きなあまい笑顔で包んで、どこか強気にかつ楽しげに、「君だけを連れて行こう」と歌う21歳の優斗くんが大好きだった。真っ直ぐ指す共通の振り付けがある1サビのあと、ラスサビで差し伸べるように前に出された手がやけに印象に残っている。公演中の視野があまりにも狭すぎるからたまに優斗くんの固有モーションなのか共通の振りなのか分からなくなる時があるけど、あそこはフリーなはず。たぶん。

萌え袖ぎみの衣装から伸びる手のひらに胸が鳴る。積もった好きを新しい好きで塗り替えられる期待に染まる時点で優斗くんの手管にはまっている気がするから、あとすることといえばもうこちらから手を伸ばすだけだ。

万能ではない。それでも、優斗くんの手には絶対的で特別な力がある。優斗くんがナンバーワンを象ればきっとそうなるし、優斗くんが未来を差すならそこはきっと明るい。そう思える。馬鹿正直に信じているから、何度でもその手を取ってしまう。「君」は私なんだって錯覚にするっと陥られる。優斗くんのそういうところに、かなり助けられているよ。

そうやって誰かの何者かになれちゃうひとが、ほんとうは何者なのかと探究心が芽生えることもたまにあるけど、やっぱり、いつまでも全てを知らないままでいたい。結局は本質なんてなんにも知らずにいたくて、けどその本質こそ幸せじゃないと意味がないと思うのもちゃんと本音。見えない見せないは要らないとイコールではないし、なんだかんだで質量保存な気がしているのは対象が優斗くんだからこそ感じるものかもしれない。消費者として、どういう形であろうとも本人が幸せでさえいてくれたらいい、なんてことはきっと一生思えないオタクだけど、それはそれとして年々ブラインドの向こう側のひとがとても愛おしく、暖かく感じるようになっている。

 

はじめての単独で「どこまでも皆さんを連れていく自信しかない」って言い切ったこと、そのときの表情、ずっと忘れられずにいる。「君」に差し出される手をなるべく掴んでいるから、いつか夢の先までも連れていってね。

 

寄せられる想いたちを、何倍もの眩さにして打ち返せる。どんな場所にいても輝ける。北斗七星の名を冠した、優しくて優れた眩い男の子。みんなの、そしてわたしのアイドル。みんなの、つまりわたしのスーパーヒーロー。生まれてきてくれてありがとう。

お誕生日おめでとうございました。