優しい閃光

背番号2番、立ち位置は0番。わたしのいちばん

英雄時代

17歳とお別れして18歳になってからの一年間、優斗くんは何を得て何を失っただろう。

まずは一人、それはそれは心強い仲間を得たはずだ。それから、待ってる試練だってしれっと乗り切れそうな強い信頼と確信めいた何か、あとは居場所や新たな夢なんてものはどうだろうか。これからのビジョンや希望もそうかもしれないし、もっともっと突き詰めてやりたいようなことだって見つかったかもしれない。わたしの知りえる範囲で言うならば、高校生から大学生になった。あとは黒が茶に染まって、紫はピンクに変わった。得るということは失うことでもあるけれど、そうするとたくさんのものを得たように見える優斗くんははかりしれないほどの何かを失ってきたはずで、それでもそこに立ち続けている。へらりふわふわと笑って、たまにきゅるきゅるのひとみがしんじゃったりしながら。ああでも、この一年はキリッとすることもぐっと増えたね。きっと自覚なんてのも今一度強く手にしたのかもしれない。とにかく、そうしてそこで生き続けている。日々進んでいる。どこまで行くのかわからないしどこまで行きたいのかも明瞭ではないけど、わたしは優斗くんのよくわからないところがとてもとてもだいすきなので甘んじてひょこひょことついていく。どこまでだって行けるよ、だって君が望むのだから。

狭いようで広い、いや、やっぱりまだまだ狭い空間ではあるけど、あちら側から見る景色は、もしかすると物理的な空間以上の意味を持って無限のようでもあるのかもしれない。その海の小さな小さな一部でしかないわたしに、真実は到底わからない。ただ、光の海を眺める優斗くんの眼がなによりも美しくて、かわいいことしか知らない。ぴかぴかのペンライトで埋まった景色。存在証明、声明のようでもあるし、集った参加者の命ひとつひとつみたいでもある。そして、その想いの集合体をかたまりとして澄んだ黒曜色に映し出す優斗くんの瞳はなによりも煌めいていた。自分のファンはもちろん、五人を好きでいてくれているお客さんが増えたことが嬉しいと言った優斗くんに、届いているんだなと思った。テキストを読みながら、客席一帯を視線で包み景色を刻んでいる様相に思いを馳せる。ひと一人を巻き込んだ決断の、現時点での答え合わせはできただろうか。赤と青と緑と紫とピンクのキラキラがとじこめられたふたつの小さい無限の箱が、彼の宝物か糧か、とにかくなんらかになっていたらとても嬉しい。

 

優斗くんは誰の何のためにアイドルをするだろう。どうか最初から最後まで優斗くんのためであってほしいと願うばかりだ。優斗くんが優斗くんのなにかのために、その身を削って放つ輝きの、そのほんのすこしのおこぼれをこっそり覗けるのなら、それ以上に嬉しいことなんてない。

優斗くんがアイドルをするとき、何かの対象に向けるでもなく、内から思わず零れ落ちてしまったみたいな笑顔をときたま見せることがある。それを見つけると、あ、今、アイドル楽しいのかもな、なんて勝手に思って勝手に嬉しくなっている。ローラーが楽しい、ダンスが気持ちいい、今日は声の出や伸びがいい、描いていたビジョン以上のパフォーマンスが出来た。なんでもいい。好きな男の子が楽しいと嬉しい。一見わかりやすいようで、実はその実態はぜんっぜんよくわからない優斗くんがわかりやすく楽しんでるなってわかる瞬間を捉えられる幸せがあるのも、ひとえに優斗くんがそこに居続けてくれるおかげだ。

はじめにも書いたけれど、得るということは何かを失うことと表裏一体であるはずでその逆も然り。 HiHi Jetがなくなった代わりに、HiHi Jetsがうまれた。そんな風に毎日なにかが変化する世界の渦中で生きて、それなりに得たり失ったりする中で、優斗くんという男の子のまんなかに一本通して変わらない部分があることが救いのひとつになっている。どうしてそんなに体当たりでアイドルができるのか。顔がかわいくて肌がまっしろくてどこもかしこも細っこくてでもお尻と太ももはご立派で、声がおっきくて、何事も諦めない努力家、スポ根。ひとりの野球少年からアイドルへと姿を変えるとき、自然体で生きることを掲げて乗り込んでくるところにこの男の子の、このアイドルの面白さはあると思っている。飾らない、自然体な自分を貫き通す。きらびやかで轟々とした世界に、イチローのモノマネ一本を背負ってほとんど丸腰で特攻するゆうぴーが大好きだ。体当たりでアイドルする姿勢と、そこから伸びゆく展望まるごとを買われたんじゃないか、と考えるともうアイドルが上手すぎて感服するしかない。そんなの天性のアイドルじゃないか。

そうして売られた商品にわたしはまんまと惚れ込んで夢中で追いかけて、いつのまにかストーリーはすごく進んでいてびっくりするしわくわくする。必死に食らいついて踊るところが好きだった。振りを反芻しているのだろう、ぐるぐるぐるぐる、脳みそロード中のかたまった黒目と薄くあいたかわいいお口がすきだった。必死に話を振ったりまとめたり落としたり、あせあせせかせかしたもどかしげなMCもきらいじゃなかった。今ではどうだろう。これからはどうなるだろう。ストーリーは進むし、優斗くんは止まらない。

振り返れば、18歳の優斗くんに向けて、こんな顔、事をするように、もしくはできるようになったのって、その前の歳よりもだいぶ多く驚かされた。ひとりの人間が成長していくところを見ることがこんなにも胸をときめかせるものだと教えてくれたひと。入れ替わり立ち代る世界に立つ彼を想って不安になる夜を、優しく芯の通った言葉たちで救ってくれたのも他の誰でもない優斗くん。優しく生き生きとした人柄がそのまま反映されたような優斗くんのおしゃべりは、本人と同じくらいに愛しくて大切なもの。この男の子はひとに届けるためのおしゃべりがとても上手なので尊敬するし、とても誇らしく思う。 

 

錯覚。すべてはこのためにあったんじゃないのかなんて。もちろん、その時代の優斗くんはその時々で常に目の前のことに必死だったと、何もかもを見越して打算的に様々なことに打ち込んでいたわけじゃないと、そんな当然のこと分かっているけれど、それでも優斗くんがアイドルになるという事象は必然他ならないことだったんじゃないかと錯覚するくらいに、アイドル髙橋優斗くんに心底惚れている。

もし優斗くんがキャッチャーじゃなかったら、もしいくつか履歴書を出したうちのジャニーズでない他の事務所が先に優斗くんを迎え入れていたら。イフを考えてくとキリがない。野球できる子はたくさんいるし、と言われた。キャッチャーでよかった。そう言っていたことをおぼえている。野球をしていた経験が今この世界で活きていると教えてくれることも多々ある。点と点が繋がって線になるように、数々の偶然や奇跡みたいな出来事もひとつに繋がって、ここまで優斗くんを導いたのだと。どれだけ結果論だろうと、勝手に結びつけて信じて進みたい。オタクはいつも勝手だけど、優斗くんが運命なんてものを信じ憧れるのならわたしもそれに焦がれたいし、優斗くんが仲間やファンとの出会いもまたひとつの運命かもねと可愛く笑うのならわたしだって優斗くんとの出会いは運命なのだと謳いたい。

わたしは、元気で生きていてくれさえいたらそれでいいなんてことは言えないおたくだ。いやいや、もちろん元気ではいてほしい。永久にすこやかにいてくれ髙橋優斗くん。最近はごはんをたべるというしあわせに気づいてくれたみたいでよかった。ただでさえほそこくて食に興味がないなんて、お母様もオタクも心配だからさ。すこし話が逸れたけど、とにかく、まだまだジャニーズアイドルでいてほしいよ。いつの間にかふらっと消えそうな雰囲気があったあの頃も同じ文脈のことをしばしば思っていたけれど、今は、また違う感覚で望んでいる。

土壌だけでは花は咲かない。悩んで迷って時には周りとぶつかって、そうして育てた花は、咲かせた経験は優斗くんだけのもの。もう、誰にも文句は言わせない。この世界にひゅるりと入ってきたどこか特異点のような優斗くんが統治する世界を、いつかこの目で見てみたいんだよ。

 

19歳っておとななのかこどもなのか微妙だ。おとなぶったこどものHiHi Jetsのことがすきだけれど、その中で誰よりも早く、こどもみたいなおとなになってしまうのはもしかしたら優斗くんで、さらに言えば優斗くんはすでに後者なのかもな、と感じるくらいに優斗くんはとても大人になった。もとより考え方や視点に対しそう感じる節はいくつもあったけれど、やっぱりそれを顕著に感じたのは18歳の髙橋優斗くんを追いかけたこの一年間だった。優斗くんは早くおとなになりたいかな、こどもでいたいかな。綺麗すぎるくらいのお顔がどんどんと大人になっていく過程を見つめていた時間は全てわたしの大切な時間で、つまりはこの一年まるごと愛しい宝物。たった一日だけじゃなくて、なんでもないひとりの一年間をこんなにも彩ってくれた君を、こう称さずにはいられない。

君はスーパーヒーローで、スーパーアイドルだよ。

 

今日、18歳の髙橋優斗くんを失って19歳の髙橋優斗くんが生まれた。優斗くんを好きになって、なんでもない11月15日を失い代わりに特別な一日を得た。沢山の特別な時間をもらった。優斗くんを好きになれてよかった。18歳の優斗くんを好きでいれてよかった。18歳の髙橋優斗くんのオタクも最高に楽しかったよ。ほんとうのほんとうに髙橋優斗くんというアイドルのことがだいすきで、愛おしくて眩しくて仕方ない。

最愛の男の子、19歳のお誕生日おめでとうございます。笑顔と実りの多い、素晴らしい一年になりますように。

非徒然なる

春が終わって夏が終わって秋が終わりそうで、つぎは冬が来るなー。きっとわたしは日々をひとつずつ過ごす振りをして、ただ季節を四回繰り返すだけの生き方をしているのだろう。ぼんやりといつか見た景色をきのうのことみたいに思い出してみたりして、なんとなく生きて、なんとなくやりすごして、また今日という一日を無駄に殺めては、またあしたも性懲りも無くただ幸せに生きる。そういう人間。

アイドルっていきものは本当にすごい。だって、夜更かしした次の日になんとなくで休む一限とか、このコマが休講だしつぎも自主休講しちゃおうとか、そういうことではない。できない。ほとんどの人がしない。そういう世界で生きてる。当たり前と言われればそれまで、仕事なんだからと言われたらそれまで。ぐうの音も出ないけど、やっぱりえらいと思ってしまう。同時に、なんとなく休む、が出来た優斗くんの人生は、そんな優斗くんの今日は2015年の5月2日から止まっていて、それが再び動き出すとき、わたしはたくさん泣くんだろう。

でも2015年5月2日から新しく生まれた優斗くんという存在は、2015年5月1日までの優斗くんを忘れない。殺したままにしない。無駄なものなんてひとつもないと教えてくれる、そういうところ、好きだなあとひしひし思う。すごくすき。わたしは髙橋優斗くんという男の子のことがすごくすきなのだ。
優斗くんは人の幸せを願える子で、わたしはそんな優斗くんの幸せを願っている。だから「それぞれが「幸せだ」って思える未来があるように、みんなでがんばりたいと思ってるよ」の「それぞれ」に、ちゃんと優斗くんも入ってるんだよね、と、ちょっとキレ気味で思った。あとは「それぞれ」のために「みんな」で頑張るという文言に、この男の子の人となりだとか意思だとかを勝手に拾い上げて大切にしまいこんだり、ひとの幸せを自分ひとりで決めない、そんなとこも好きな一面だって再確認したり、ああきっと「そうやん」が「蒼弥」に聞こえちゃったんだろうなあと勘繰ったり、そんなことをした。

なんとなくで休めない日々を送る優斗くんはすっかりそれが板について、当たり前みたいな顔をしてステージで生きている。それでも当たり前じゃないこと、わたしは忘れたくないし、当たり前みたいにMCをこなす優斗くんもまんなかの優斗くんも、当たり前だけど当たり前じゃなくて、けど5月のある日に産声をあげた瞬間から、なにかとても大きな天命をあのまっしろでほそっこい背中に乗っけられてなおここまで走ってきたんだと思えるくらい、違和感のない0番だった。嬉しくて、なによりも誇らしかった。このはじまりの0番を、絶対に忘れないようにしよう。顔が大好きでいつもいつも顔ばかりを顔だけをロックオンしてるのに、あの日ばかりは板に刻まれた数字を一瞥した。大好きお顔と、交互に何度も見た。まごうことなき不動の0に、そこへ立つべき者の顔をした優斗くん。きっと優斗くんのことが大層お気に入りなのであろう運命とやらに泥臭くしがみついて、振り落とされなかったからこそ見れた最高の組み合わせ。髙橋優斗くんって本当に最高だ。

優斗くんは最高なので、運命の恋をしたいと言う。最高。ちなみにわたしは、このリア恋爆モテキャッチャーはどこぞの運命とやらに惚れこまれていると信じて疑わない。概念にすらモテる自担、最高。いつかそれすらも手玉にとって弄んでしまうんだろう。ただ、今はまだ手を引かれる存在でいて欲しいなんて我儘を言わせて欲しいな。どんなに不思議で恐ろしくてでこぼこな道でもちゃんと踏み締め駆けていく優斗くんが見る景色は、常に美しく素晴らしいものであってほしい。

優斗くんがアイドルをすることは義務じゃなくて、私がオタクをすることも義務ではない。絶対的なんてないひとつずつの条件が重なって、運命の元でか細くも繋がっている。いつ切れるかわからないし、どちらがどういう切れ方をするのかもわからない。たくさんの糸がぐちゃぐちゃに絡まる世界で優斗くんは毎日生きているし、その糸を隠したり見せてみたりなんかしながらわたしも細々と生きている。そんな生活の中で、友人と遊んだ帰りとか、泊まりに来た友人がお風呂に入っている時間だとか、不意にひとりになった瞬間にわたしの糸はときどき震え出す。こう寒いとそれも顕著だなって、そんなことを最近よく考えている。たとえば、能天気で楽しげな画像がちいさい電子の箱につくられたアルバムにあげられていくのを、電車に揺られながら眺める。ふと、今この瞬間も優斗くんが幸せな世界なら嬉しいな、そんなことをぼんやりと思う。

今年も春が終わって夏が終わって秋が終わりそうで、つぎは冬が来る。わけだけど。優斗くんが描くいちばん大きい夢を掴む未来はいつ来るだろう。それまでにわたしはどれだけの今日を殺すだろう。死屍累々の上に立ついつかのわたしが泣いていようと笑っていようと構わないと思えるくらいには優斗くんというアイドルが好きだ。あるはずだった一日を生贄に、アイドルとして明日を生きる優斗くんが大好きだ。いっとう輝くあの笑顔が答えだと言うのなら、きっと運命も調子付いて今後も度々優斗くんを新しい未来へ連れまわすだろう。わたしはその景色が見たくて見たくてたまらないから、溢れすぎる希望と期待と愛慕をそこへ逃すみたいに何回だって何枚だっていちばん上のあの欄を、愛しいはしごだかで埋めてしまうし、そうやって、そうやって今日も楽しく生きている。

今日もHiHi Jets 髙橋優斗くんのオタクが楽しい。

ひだまりの色した萌え袖

いつからこんなに好きになっていたのか。自嘲的までに思うことが、最近よくある。ただ髙橋優斗くんの顔が好きだっただけのはじまりから、気づけば凄いところまで来ていた。

ふわふわのわたあめ顔に引き寄せられて、心を掴まれ手を引かれ、あれよあれよという間にふわふわの帝国劇場の床を踏んでいた。これふわふわ過ぎて逆に歩きにくいんだよなあと思いながら、非日常なその空間に居住まいを正して、特別枠の洋服を纏って、コンサート会場に赴く時とはまた別の気合を入れて。伝統ある舞台に若い熱風を吹き込む彼らを見てきた。

 

帝国劇場の1でも2でもない場所。そこに立つ優斗くんの声はよく響いていた。自覚と覚悟を宿した精悍な表情。感動より先に安堵したのが正直なところで、そう、この男の子はいつだってちゃんとわかってる。

燃え滾る闘志か浴びた血か。自身から滲むそれなのか。真っ赤な衣装に身を包み、戦いの目撃者は君だと歌い叫ぶ5人。「君」とは果たして誰なのだろう。強欲で傲慢な自分は、傍観するだけの目撃者には決してなりたくない。戦いの渦中で不敵に、時に無邪気に笑う彼らを必死に追い続けていたい。簡単じゃないし、敵だって多いし、終わりなんて全然見えないし、でも一緒に勝ち獲りたいと思った。頂きに立って、いつもみたくかわいく笑う優斗くんがいつか絶対見たいんだ。

優斗くんが与えられるものは毎回どれもがすこし手厳しくて、それから期待に満ちている。それってすごく愛なんだよなあって、たぶん、優しくて賢い優斗くんは分かっているはずだけど。分かってるからこそ、その愛をいつだってひたむきな姿勢で期待以上に打ち返していく優斗くんで、だからこそ次も、次も、ってより大きな期待をどんどん投げ込まれていくんだろう。磨り減るものも計り知れないだろう。それでも君がそこへ立つのなら、私はあなたの目撃者で居続ける。

無責任に、覚悟もなにもかももすべてあげるとそう言いたくて、あげてしまいたいくらい大好きで。でもそう思うのはいつからかやめた。自分の気持ちを自分で背負いきること。優斗くんに委ねずとも出来そうな気がする。かわいいかわいいわたあめみたいな顔にふらふらと目を奪われ捕まって、4人で募らせて、5人に引きずられていつのまにかこんなところまできてしまったけど、せっかく来たんだし。それならいっそ火の粉の散る戦場でもなんでも赴いてやる。

 

迫り上がるステージ、真っ黒なスーツに身を包み挑戦者となる優斗くんを見た瞬間、ひとつ、夢の輪郭が縁取られていった。あえてまだ言葉に出すことはしないけど、いつか夢が現実になる日が来ると信じている。その時はどうか得意げな顔をさせてほしい。私は2018年、秋の夜長に、予知夢を見たのだから。

 

偶像は、本物でないからこそ崇拝し易く、手が届かないからこそ安心して焦がれることができる。けど、優斗くんはどちらかといえば庶民的な、所謂リア恋キャラで、親しみやすい男の子。そんな子が、彼なりの理想に日々近づいていく。その過程の美しさにとても魅せられている。偶像をかたどるための過程におけるリアル。生々しくて難しくて瑞々しくて、また時にはダサくて青い。そしてそれはいっとう輝いて見えるものだと、そう思っていたし現在進行形で思っているんだけど、ユウトを演じる優斗くんを見ていると、優斗くんの中で優斗くんとは一線引かれた誰かを作り上げるスキルというのはもう十分にあって、演技力と言われたらたしかにそうであるし、また同時に誰かの期待に、誰かが求める何かに寄り添えるだけの力がもうかなり育ってきているんだろうなと思った。その上で、たぶんアイドルとしては髙橋優斗の原型をなにより大事にしているのかなってそんなかんじの推測もしてみたり、たくさん、ユウトのことだけじゃなくてアイドルゆうぴーのことも髙橋優斗くんって男の子のこともたくさんたくさん考えることができた。あの夏の次に来る季節としては申し分ない時間を過ごせたんじゃないかな、って、硬いアスファルトを蹴っ飛ばしながら考える。次の冬こそはあのふわふわに足を取られないよう上手く歩かなきゃ、と苦笑いしながら、わたしは今日も優斗くんを好きでいる。

季節の狭間で見る残光

HiHiJetsの単独公演が終わった。

それすなわち、2018年の私の夏はひとつ幕を下ろした。今まで20年近く生きてきて、ひとつの季節をまるごと何かへ投影......というより、もはや丸投げして、それそのものをひとつの季節として。身勝手にも拠り所にしてはその渦中で時を過ごすなんてしたことがなかった。平成最後に、「はじめて」を教えてもらった夏だった。今年が最初で最後の体験ということもあるかもしれない。なんにせよ、髙橋優斗くんを好きにならなければまず一生味わえない感覚だっただろう。そもそも季節に対して季節以上の感覚を抱いたことがまずなかったはずなのに。

まるで花火が終わった後に残ったバケツの中の濁った水。そんな脳みそで8月13日以降の今日を生きている。きれいな花火は全部し尽くしちゃったけど、残った火薬のにおいと気だるさに、まだまだ帰りたくない気持ちが浮かんで、うだうだとそこに居残り続けている。

目を閉じたら、ぴかぴかきらきらしゅわしゅわの光炎がすぐ目蓋の裏に浮かんでくる。味方だけのシンプルな空間で腕をぶんぶん振った。たとえば笑いながらハート型を書いてみたり、5人で星なんて作ってみたり、すぐ消えちゃうって分かっていても楽しくて、なんならこれが一生残ったらいいのになんて思ったりもして、馬鹿みたいだけど、彼らは本気だったからこちらも本気になってしまいそうになる。

 

また、どうやらわたしたちは、あのEXにおいて「ゲスト」でなく「キャスト」らしかった。猪狩くんは表現と表明の天才。その言葉の通り、もてなすほどの気持ちになれた。彼らに対しては烏滸がましいが過ぎるのであくまで感覚の話。まあでも、この夏確実に毎公演、約2005人で最強になれた自負があるので、達成感に満ち溢れている。勝手にも。

春にお披露目し、一瞬にしておたくたちの心を奪っていった紹介ラップ、『#だぁ~くねすどらごん』がこの夏パワーアップして堂々の再登場を果たした。

HiHi Jetにsがついたのが2月。わたしがHiHi Jetsのsを受け入れられたのは5月。

そしてその複数形を悔しくも愛しく思うようになるのは、紛れもなくこの8月となった。

 

「一人じゃないから複数形」、その複数形に、もしかしたら自分も、自分たちも入れてもらってるんじゃないかってそんな自惚れをしてしまうくらいに彼らは彼らの青春に一緒に迎え入れてくれた。優斗くんがEXの真ん中で「僕たちのライブは参加型です」って言って、次に始まる曲は『HiHi Jets』。彼らと私たちは、愛しいその名前を何度も呼んで、そして『FIRE!!』、『#だぁ~くねすどらごん』と続いて『テンション』。『テンション』の最後で猪狩くんが「りょうちゃん、みずちゃん、さくちゃん、ガリさん、ゆうちゃん」と可愛らしくメンバーの名前を呼んだかと思えば、最後の最後に「みなさん」って。「みなさん」。え?私たち?って。そして極めつけに、

 

「俺ら揃って?」

\HiHi Jets!!!!!/

 

わたしたちはHiHi Jetsらしい。ゲストじゃなくキャスト。なるほど〜

 

絶賛青春中の彼らが追体験させてくれるいびつで特別な青春。楽しくて切なくて苦しいくらいだけど、だからこそ余計にリアルだ。

 

こんなん書いてるんだもん、夏終わったんだ。終わったんだなー。千秋楽の直前、わたしは今年の夏が死んでしまうことに対して笑えるくらい怯えていた。本当に、毎日が楽しかった。

「俺の夏、終わっちゃったよ」

12日の夜、千秋楽のMCでぼそっと優斗くんが言った。目から鱗。そうか、きみも同じなんだ。優斗くんも今年の夏イコール、サマーステーション2018裸の少年だったんだ。私とおんなじだった。なんだ。平成最後に好きなアイドルとお揃いで、夏の心中。

「この夏の青春を詰め込んでください」

言われなくてもそのつもりだよ!って、彼らが繋いで教えてくれた青さぜんぶぜんぶ突っ込んで、半分泣きながら名前を呼んだ。届いただろうか。もらった青春はほんの少しでも還元できただろうか。

 

HiHiJetsのコンサートは拍手で終わる。

ずっと5人でいるから、また何回でも来て。俺らずっと一緒だから。待ってるから。一緒に何回だってライブしよう。

誓いのようで、15歳の懇願と切望に聞こえて仕方がない。このときいつだってわたしの好きな18歳の男の子は何も言わず、ただ元シンメと客席を交互に見やっているだけ。その表情はどの種類に分別されるものなのかわたしにはよくわからない。でも、きっと彼が前よりずっとおとなになったことだけは分かる。

なんて卑怯でとんでもない恒例を生んでくれたな、と思う。だってわたしたちはその問いに肯定でしか答えることができない。策士な男の子たちだ。

 

「俺たちのこと、ずっと愛してくれますか」

 

とてもずるくて何より愛しいその問いかけに、これからも何回でも5人へ応えを叫びたい。偶然でなく必然に拓いた道を何度だって肯定するから。だからいつかてっぺんを取るところを見せてよ。

叫んだあと彼らのレスポンスはない。

HiHi Jetsのコンサートは、わたしたちの拍手で終わる。

 

帯びた熱に任せて本音を言うのなら、8月の全て以外だってあげられる。

でもひとまずは、この8月を捧げてくれて、捧げさせてくれてありがとうございましたという感謝を込めて。

夏と秋の間より。

余命宣告

夏はいつまで夏だろう。おそらくだけど、8月いっぱいまでが夏であると認識する人が多い気がする。私もそう思っていた。でも9月も全然余裕で暑い。残暑ってやつ。じゃあ9月も途中までは夏なのか。気温が下がって暑くなくなれば、夏が終わったってことなのだろうか。

蝉が鳴かなくなったらもう夏じゃないのかもしれない。夏休みの終わりがイコール夏の終わりかもしれない。袖を通す服が半袖から長袖になったら。ゆらゆらとゆれる蜃気楼を見なくなったら。クーラーをつける頻度が少なくなっていったら。

 

8月の半ば、線香花火を眺めているみたいに、今年の夏が燃え尽きていくのを感じている。あと2日。いつか落ちると分かっているけどそれでもずっとずっと落ちて欲しくなくて、それを永久に見続けていたくて、震える手で出来るだけ慎重にそれを持ってぱちぱちと光る火花を、呆れるくらい懸命に目に焼き付けている。夏ってだいぶ好きじゃなかった。だって暑いし。でも、優斗くんを好きになってから初めての夏だった昨年に、夏も悪くないかもなあなんて思った。漠然と。

今わたしは、あんなに好きじゃなかった夏が終わってしまうことに対してひどく怯えているのでとても笑える。好きじゃなかった季節をこんなに好きになるほど惚れ込んでいるなんてほんと恥ずかしくて、やっぱりとても笑える。
なによりHiHi Jetsの単独公演が終わることにここまでセンチメンタルになってなぞポエム綴っているのが一番笑える。あー、やだなー。


ものごとの全てに終わりがあるのだとしたら、この公演にも終わりがあると折り合いをつけるのは簡単で、ていうか実際、そうなんだけど。

それでも彼らは私たちに、ずっと。永遠に。おれたちいつまでも5人で一緒だから。そう何度も繰り返し繰り返し主張していた。そんな愛しい姿を見てしまったので、やっぱり終わりなんてないかもな、と馬鹿らしい夢を見て、ちいさく願うだけは許されたい。

 

 

でも秋が来ないとドリボを観られないな……。それはダメだ。やっぱり時には終わりが必要だ。次を始めるためにも。

青春の切っ先

2018年のクリエが終わった。

わたしがこのクリエでひとり勝手に受け取ったもの、感じ取ったものはそりゃあもうたくさんあって、その中でもとりわけ大切な宝物は、5人を受け入れさせてくれたことにほかならない。

 

2018年2月19日。レポを目にしていちばんに抱いたのはまず困惑、そして遅れて、いやだ、という気持ちだった。あとは素直に悲しいと思った。やっと4人のHiHi Jetをうまく愛せるようになったばかりだったから。

昨年12月、フジテレビの特設スタジオで4人が見せてくれたHiHi Jetとしてのきらめき。夏のそれとはなんとなくまた手触りが違っていて、今はHiHiB少年としてかもしれないけれど、きっとそう遠くない未来に4人だけのステージが見られるんじゃないかと勝手な期待と幸福感にひどく胸を締め付けられたまま乗ったゆりかもめ。窓から見えたクリスマスシーズンのお台場の景色はきっと一生忘れられない。

結果として、4人で、HiHi Jetとして単独コンサートをすることは叶わなかったけれど。

 

HiHi Jets体制になってはじめての現場はシアタークリエ。それまでの間にWSや少クラ、youtube等で5人のことはきちんとチェックしていた。そもそもこのもやもやに、加入したメンバーが誰であるかはまったく関係なくて(むしろ作ちゃんのことは大好き。はいはいのおたくとして、恩義もあるし)、ただ一度でも情を持ったHiHi Jetがなくなってしまったことに対してにつきる。そこは自分の中で明確だった。結局、何を見ても感情の整理はつかないままだったけれど、まあつかないままもでいいかなあってのみこんで、無理に形を変えることも、気持ちを捨てることもないまましばらく過ごした。少クラではじめて5人の姿がお披露目されたときに優斗くんが言った「これからも俺たち5人をよろしくお願いします」の言葉は一旦胸の中に預かっておくことにした。時が来たら、保留にしていたその言葉を取り出して、未来の私が勝手にどうこうする日が来るだろうと。

そうこうしているうちにクリエは始まって、優斗くんは綺麗な黒髪を茶髪にしていた。人の髪色ひとつであんなに錯乱したことは今までになかったけど、いざ現場に入って生で見たら信じられないくらいかわいかったので速攻で掌を返した。そして肝心の公演といえば、それはそれはほんとうに楽しかった。作ちゃんの「俺たち5人でHiHi Jets」がすんなりと自分の中に入って、溶けだして馴染んでいったから驚いた。もう一個の掌も早々に返して、幕が下りるころにはもうずっと前からそうだったような感覚すらほんのすこしだけだけど、あって。仕舞い込んでいた優斗くんの言葉を取り出す。今度はちゃんと受け取れた実感があった。

 

確かにあの頃HiHi Jetは存在していて、わたしは、はしもとくんと、みずきさんと、猪狩くんと、優斗くんの4人が大好きだった。

季節は移り替わってJetにsがつく。sが戻ってきた、かもしれない。冬に抱いた期待は春に違う姿で叶って、新たに夏が来る。

今年は彼ら5人と一緒の夏。青春真っ只中の彼らが「普通の学生の夏」をいけにえに、一瞬で、儚くて、とくべつキラキラ輝く夏をくれる。

クリエが終わって一ヶ月経った。いまだにクリエ懐古が止まらない心を、早くEXの思い出で埋め尽くしてほしい。