優しい閃光

背番号2番、立ち位置は0番。わたしのいちばん

幸福的鳥瞰

「腹は固まった」

いつかのこの優斗くんの言葉が、言葉以外のかたちをもって顕在化していたようにみえた。言葉以外の表現が、言葉と同等か時にそれ以上の説得力を持って示されるのがHiHi Jetsのコンサート。「現場」でなく「配信」というつくりにはなったものの、芯は変わらない。HiHi Jetsというエンターテイナーがつくりあげる、憎いくらいたのしくて愛しい時間に今年の夏も立ち会うことができた。

 

積み重ねてきたものが、きちんと作り手と演者の両方としての信頼へ繋がって、現在の作品づくりの土台や背景、力に成っているんだなとなんとなく察せられる公演だったように思う。当然、そのへんはわたしの可視範囲ではないのであまり突き詰めて思い做すのは野暮だろうから、ぼんやりと感じて、ぼんやりとうれしい気持ちになるくらいに留めておいて、とにかく、「配信」というコンテンツを「現場」と混同せず新しいジャンルとして作り上げるHiHi Jetsは、まるでわたしの良く知るなにより現場が好きなHiHi Jetsで、そこの解釈が違えない嬉しさと、あとはエンターテイナーとしてのプライドを真っ向から受けた心地がして最高だった。猪狩くんの口から語られたように、決してあの配信は現場の妥協でもなければ、現場とすげ替えられるようなものでもない。たしかに唯一無二の確立されたコンテンツだった。けれど、配信が終了したあとのあのいとしい疲労感も満足感も高揚感も、現場の公演終わりと遜色ないほどにあふれていて、違うものとして捉え構築したからこそ得られる同等のパトスにたまらない気持ちになった。

変わりゆくものの中にひとつ変わらない、ブレないものがあることで受ける安心感というのは大きい。コンサートづくりにおけるHiHi Jetsもそうであるし、わたしから見た優斗くんもそう。回数を重ねるごとに安定していく歌声に、好きになったときの輪郭が変わらない嬉しさを感じて、毎公演、何度も何度もなぞって確かめてはときめいた。見るたび成長しているとびきり顔が可愛い男の子。わたしが優斗くんを目で追うようになったきっかけ。とうに目を逸せなくなった今もそれを発揮する優斗くんは、まるで戦いの中で強くなるみんなの、わたしのスーパーヒーローのようで、からっと笑う表情はどんなに晴れた日曜の空よりもぴかぴかだった。

 

「駆けるは泣ける!」と言い合って、もはや死語ですらあるエモいを連呼しながらはしゃぐHiHi Jetsはいつも通りかわいかったし、なにより、駆けるやeotfらに誰よりも希望を見出しているのはきっと彼ら自身なんだろう、とおもうとよりかわいくって仕方なかった。HiHi Jetsを一番近くで見ている彼らがHiHi Jetsのことを一番に好きなのは当然のような気もするけれど。アイドルに飲み込まれて、恋をして、アイドルに夢を見ているアイドルが好きだ。

角度によってHiHi Jetsがまるで運命的に、良くできた物語のように映るのは、彼らが選択を殺さないからだろうか。選んで進んできた裏で捨てたいくつもの選択肢。あるはずだった今日、固定観念やかなぐり捨てた意地や思潮、全部の亡骸の上に立っている自覚があるところもまた好きだと、モニターに映る光の道筋を見つめる五つの背中を見てぼんやりとおもった。選んで、捨てて、そういうのを何度も何度も繰り返してやっと、おなじ未来を見ている。過去、優斗くんが言った「それぞれが「幸せだ」って思える未来」は、きっとあの道の先にあるのだろう。

言葉だけの約束がどれだけ儚く無責任であるかなんてことは、板の上に立つ彼らが一番わかっているはずだ。でもこの時間だけは、馬鹿だと笑われてしまうな夢物語も永遠すらも、どれだけ陳腐でありふれた言葉でもいいから一緒に誓いたい。絆されて、騙されたって良いとお手上げできる幸福がHiHi Jetsのコンサートにはある。アイドルは虚像だ。けれど、虚像こそがわたしたちの可視化部分のぜんぶで、その範囲のどこからどこまでを信じて愛するも自由。そして仮に、ステージの上においては汗も涙も捨ててきたいつかも、なにもかもすべてをきらめきと夢に変換する、またはすべきで、それこそがアイドルだというのなら、HiHi Jetsは言うまでも無く真っ向からアイドルだ。

 

個人的には、既存や普遍を避けることが王道から離れることだとは思わない。王道とは彼らが見据える未来までの道筋とイコールなのではなく、物凄いスピードで駆けていく彼らを追うこちらからみた彼らの軌跡こそが王道なのだと勝手ながらも解釈して、HiHi Jetsを楽しんでいる。王の行く道、すなわち王道。車輪がステージへ刻む跡すらも、だ。彼らの目指す伝説だって口頭伝承がつくりあげる史実で、わたしはその闘いの目撃者になりたい。

 

いつからか、優斗くんってHiHi Jetsのこと好きなんだなあ……と、しみじみすることが増えた。どことなく他人行儀でふわふわとした感情だったけれど、ただ自分のことを優斗くんに投影して、第三者視点で見ていただけだったのだと今になっては分かる。わたしがHiHi Jetsのことを好きで、HiHi Jetsを好きな優斗くんのことが好きなのだ。運命か天啓もわからないようなきっかけで与えられたただの場所を自らの居場所へ、居場所を夢を叶えるための必須条件へ変えたのは紛れもなく優斗くん自身の努力で、おそらく他の4人も同様なのではないだろうか。はじめからこうあったわけじゃない。徹頭徹尾、優斗くん然り個々人が選び歩んできたからこそのものだ。先ほども述べたけれど、全ての今は亡き今の上に成っていて、ということは、今を愛するはこれまでの選択まるごとを愛すことになるのだろう。そして優斗くんが選んできた道を無碍にしてきたことなんかこれまでにたったの一度もない。優斗くんの顔の次に信用しているところ。選ぶも任されるも、託されるも、受け取ったものは絶対に無駄にしない。だからこそのエリート街道ゴールドタイプ。最高の賛辞である。この世界を選んだことは間違いではなかったという言葉が聞けたのも、確かちょうど一年前の夏だった。

公演を通して、これからも道無き道を行く優斗くんの顔をずっと見ていたいな、と今一度はっきり思った。きっと大丈夫のにこにこゆうぴーも、友達申請のお調子者ゆうぴーも、おーいぇーでころころころがるゆうぴーも、他にもいろいろな大好きなにこにこゆうぴーがたくさん。たしか優斗くんは今回の配信で、一曲目の『HiHi Jets』で5人集まって登場するところが良いって言っていた。結局のところ、わたしはわたしに見えている優斗くんのことしかわからないし知りたくないし、触れたくない。だからせめて、板の上に立つ間に彼から見えてる景色だけは、どうかなによりもやさしいものでありますようにと常に祈っている。その上で、いちばん納得できる虚像を真っ向から見せてほしい。自然体を謳ってこの世界へ転がり込み生きている優斗くんは未だ、確かな分化を起こさない(ように見える)。不思議なシステムでうごいているアイドルだけど、隠すところはきちんと隠しきる。見せると隠すのコントラストが綺麗で、日に日にその調節や表現が上手くなっていく様は、プロだし、おとなだと感じさせられるから、どきどきするきもちと、決して内包している空白もしくは暗闇を侵したくないようなきもちが浮かぶ。ふと感じる寂しさを許せるとことか、空虚にすら寄り添ってしまいそうなとことか、ふと抗うのをやめてしまいそうなとことか。そういう、エネルギーの弾道からすこし逸れたとこに生きてるときの優斗くんは危うくてかわいくてひどく魅力的ではあるけれど、やわらかいそこに無闇に触れるのはもちろん嫌だし誰にもしてほしくないので、やっぱり基本はにこにこ笑っていてほしい。

人間力と偶像力という相対的な結合に見る夢、ひとはそれすらも神格化と呼ぶのだろうか。眩いシンクロニシティは、今日も優斗くんをアイドルたらしめている。

 

 

あのころ優斗くんが二十歳になるまで応援するビジョンなんてなかったなあなんて、建前上は最後の一曲にあたるサヨナラの方程式を聴きながらふと思っては、数年前の優斗くんと、彼の十代は永遠なんだと本気で信じ込んでいた自分がフラッシュバックした。同時に、その延長線上にある現在、形は変わったけれどまだまだ青春のど真ん中だとHiHi Jetsに知らしめさせられる。HiHi Jetsのコンサートはいろんな情動が引き起こされるけど、逸らせない今も展開し続けるから忙しい。永遠を信じる瞬間的要素が幾重にもなって今がある。それならば、このまま青春を繰り返した先、どこまでいけるのだろうか。たとえ言葉通りに未来がかなわなくたって、わたしが今この瞬間に抱いた感情と抱いた事実は永遠に存在し続ける。これからもそういう不変をひとつひとつ溢さぬよう大切に抱きかかえて、せわしなく変化し続ける優斗くんを見てときめいたり、笑ったり怒ったり泣いたり楽しくなったりできるなら、きっと、ずっと、幸せなことだ。

 

だからわたしは、この夏を越えたいつかも、たとえ日曜日じゃないいつの日にも見えるものすべてがキラキラ輝くような魔法をかけてもらいに、何度だって彼に会いにいく。そんな永遠を願う刹那の繰り返しの果て、どうか光り輝く伝説が待っていれば良い。