優しい閃光

背番号2番、立ち位置は0番。わたしのいちばん

未知たりた愛

自担である優斗くんのこと、わたしはどのくらい知っているのだろうなと思索しては、ほとんどなんにも知らないことを実感して楽しくなる、という流れを、飽くことなくもう何度も何度も繰り返している。

わたしは、応援しているアイドル髙橋優斗くんのことを本当に何も知らない。それに対して特に歯噛みするようなことこそないが、やっぱり人柄や趣向、言動や流れは常に予測できないし、いつも予想の斜め上をいかれてしまうから毎回新鮮に驚きはする。そして面白いなと思う。今回は、気がつけばピンクのひとになっていた。理由は明るくいきたいからとかなんとか。

君はなぜそこに立ち続けるのか。問いたさに喉から手が出そうな日々を過ごしていたら今日という日。ゆうぴーは知ってる?知らないかな。知ったこっちゃないかな。でも知ってる顔に見えるんだよなあ、じゃあいつからそんな顔をするように……。また、知らないことが出てきた。

勉強がすきな人々がよく言う、勉強をすればするほどに知らないことが新しく出てきて、余計に意欲が掻き立てられる……。そんな文言。あいにくわたしは勉強があまりすきではないけど、優斗くんのことはすきなので、うんなるほど。ちょっとわかるかもしれない。

しかし、だ。わたしは優斗くんを一から十まで知るために優斗くんのオタクをしているのではない。言ってしまえば、髙橋優斗くんというひとりの人間より、“わたしから見える範囲の優斗くん”が大好きであるというのが正しい。ゆうぴーを知り尽くすどころかまず「優斗くんを知る」というタスクが、わたしが優斗くんのおたくをするに当たって存在しない。そりゃあ知れたら嬉しいなラッキーだなってこともあるけれど、それは「わたしの優斗くん」に対する装飾にしかなり得ないので、結局のところ優斗くんの知らない部分が大量にあっても何も困らない。

わたしが優斗くんのことをなにかひとつ知ったって、なにかひとつ知らないということを知ったって、優斗くんは変わらずよくわからない生物のまま生きていく。わたしは優斗くんの未来はわからないし優斗くんも優斗くんの未来はわからない。わからないからこそ優斗くんは昨日も今日も明日も死ぬ気でアイドルとして生きるんだろうし、わたしもわたしだけの優斗くんを全力で大好きでいる。それでいい。それがいいよ。

 

わたしには赤に見えるなにかを優斗くんがこれ青だね!と言ったとする。その後もわたしの目には変わらず赤以外のなにものでもなく映るだろう。そのかわり、わたしには赤にしか見えないそれが優斗くんには青に見えることがわたしはすごく面白くて、じゃあこれは何色に見えるんだろう?そのとなりはどうなんだろうってウキウキしながら考えたりしてみる。それがどうしようもなく楽しい。

ただ、優斗くんや優斗くんの見る景色がわたしの見ている優斗くんやわたしの見る景色とどれだけ違うものだとしても、優斗くんの見る夢だけは端っこだけでも共有して同じものを見てみたかったりする。でもやっぱり優斗くんの夢がなんなのか、どこなのかはあんまりよく知らないので、どうか色鮮やかで光満ち、幸福で、どこまでも名の通り優しいものであってほしいと願うだけ。それだけだ。

 ってかんじの、なんにもない日に髙橋優斗くんを見続ける楽しさを噛み締めていた、なんでもない記録。